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特集金櫻神社

更新日:2019年9月2日

金櫻神社と金峰山信仰

武田信虎公が現在の武田神社の地(つつじが崎)に館を構えてから今年で500年を迎えます。甲府市では今年を開府500年の記念の年として、節目を迎えた甲府の歴史をホームページや冊子等で紹介しています。
今回は、そんな甲府市の歴史の1つとして、金櫻神社を紹介します。

水晶の御朱印 金運アップのパワースポット

甲府市北部の町、御岳町(みたけちょう)には、金運アップのパワースポットとして近年脚光を浴びている「金櫻神社(かなざくらじんじゃ)」があります。御神宝は水晶の「火の玉・水の玉」、御神木は金運に恵まれる木といわれる「金櫻」(樹種 鬱金櫻(うこんざくら))で、4月下旬から5月上旬にかけて黄金色の花を咲かせます。櫻を拝み水晶のお守りを受けると、一生涯お金に困らないとされ、多くのお客様が訪れています。

金櫻神社御朱印

(▲水晶の御朱印)

金櫻神社鬱金桜

(▲御神木「金櫻」(樹種 鬱金桜))

この金櫻神社、見事な水晶の御朱印に目を惹かれますが、山岳信仰の中心神社として深い歴史をもつ神社であり、その歴史についてこれからご紹介します。

信仰の山

 

 甲府市の北部、長野県との県境に、奥秩父連峰の名峰「金峰山(きんぷさん)」があります。標高2,599m、山頂には高さ約15mの五丈岩がそびえたつ金峰山には、毎年多くの登山客が訪れています。 

 

 

金峰山は古くは金丸山といわれ、多くの修験者達が修行を積むために山に入っていた信仰の山としての歴史をもちます。 

 

それではなぜ、金峰山が信仰の対象とされたのか。

 

昔の人は山には魔物が住んでいる「怖い存在としての山」と、神様や仏様がいる「極楽世界」という相反する観念を持っていました。実生活の面では、山は農耕と生活に必要な水をもたらし、道具を作るための木材を包蔵するありがたい存在である一方、時には洪水や土石流によって生活を一瞬のうちに破壊してしまう怖い存在でもあったといえます。五丈岩の頂きからは「甲斐派美(かいはみ)」という清水が湧く場所があり、甲斐国荒川・塩川等の水源とも信じられていました。山頂からは水の信仰に関わる土馬や水晶などが発見され、耕作の守護神として崇拝していたことが伺えます。これらの感謝と畏敬の念が醸成されて、厚い信仰を集めていったのではないかと考えられます。

 

また伝承によると、今から約2,000年前、第10代崇神(すじん)天皇が各地に蔓延していた疾病を収めるため、諸国に神を祀って祈願しました。その際、甲斐の国においては、金峰山山頂の五丈岩に、医薬の神様として少彦名命(すくなひこなのみこと)が鎮祭されました。その後、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の時、金峰山に登り、この山が霊地であると感じ、五丈岩の下に社殿を建てたといわれています。またこの時、須佐之男命(すさのおのみこと)と大巳貴命(おおなむぢのみこと)があわせ祀られました。

 

 

それから500年後、今から約1,500年前、修験道の開祖であった役小角(えんのおづぬ)によって、大和の国(奈良県吉野)の金峰山から蔵王権現(ざおうごんげん)を勧請(この地にお迎えすること)し、神仏あわせもつ日本三御岳、三大霊場として広く知られ、西の金峯山に代わる東の修験道聖地として隆盛をきわめることになりました。

 

※蔵王権現・・・日本では古来より山には神様が住むところと考えられており、蔵王権現はそういった山岳信仰と仏教が結びついた日本独自の信仰・修験道の本尊のことです。

 

特集金櫻蔵王権現

 (▲蔵王権現立像 山梨県立博物館(外部リンク)所蔵)

  

戦国時代の武田氏とのつながりに関してはこのような記録があります。

   

御岳町は、御岳衆(みたけしゅう)と名乗る地域的・同族的な結びつきによる武士団が形成され、山深い立地でありながらも、金峰山信仰の拠点であることは変わらず、御岳一帯から金峰山頂に及ぶ広大な神領を支配しており、強い力をもっていたと推察されます。武田信虎は、この御岳の川窪に信玄の弟である信実(のぶざね)を配置し、信州佐久方面から北部山岳地帯を経て甲府城下町に至る道筋の監視・防衛にあたらせるとともに、社家を抑え、武田氏の支配下に組み入れていくというねらいもあったものと考えられます。

  

さて、修験者達が参詣する道を御嶽道といいますが、「甲斐国志」によると、この道は9筋あり、各地に里宮がまつられました。このうち甲府市御岳町や、山梨市万力・歌田・杣口には特に栄えた里宮がありました。この里宮が金櫻神社であり、金峰山信仰の中心神社となりました。そして、金峰山山頂の五丈岩は御像岩とも言われ、金櫻神社本宮の御神体となります。

 

御岳町の相原(廣)さんと坂下さん

 金櫻神社の昔を知る御岳町のお二人に話を聞きました。御年91歳の相原廣美(あいはらひろよし)さんと、御年80歳の坂下武(さかしたたけし)さんです。

 

相原さんと坂下さん

(▲左が相原さん、右が坂下さん)

 

神社が金櫻神社と呼ばれるようになったのは幕末の後からで、それまでは蔵王権現社と呼ばれていたようです。

御岳町から金峰山山頂までには小さいものも含めると120社もの社が存在しており、黒平地区には温泉もあって、金峰山へ登る際にここに立ち寄り、疲れを癒やしていました。現在も温泉の跡は残っており、神社社務所に飾られている絵巻を見ると、金櫻神社から金峰山までの間に、多くの鳥居や神社、また温泉も描かれています。

 

御岳道

(▲金櫻神社社務所に飾られている御岳道の絵巻)

 

  金櫻神社は、昭和30年、鎌倉時代に建立され重要文化財に指定されていた中宮、東宮をはじめとする13棟が焼失し、現在の神社は昭和35年に再建されたものになります。再建の際には寄付を募ったり、社有林を切り出して売って資金を確保し、焼失の5年後に、まずは現在の本殿が再建され、その後拝殿が再建されました。焼失前の金櫻神社は今よりも地面から床までの高さが高く、お二人は社殿の床の下で遊びまわっていたようです。焼失前の神社の写真を見せてもらいました。

焼失前金櫻神社1

(▲焼失前の金櫻神社)

焼失前金櫻神社2

 

また記録では、金櫻神社の鐘楼には、「御岳の鐘」「起請神文の鐘」「秘訣の鐘」などとよばれる鐘があり、真偽のはっきりしない争いが起こったとき、神の裁定を下すものとして厚く信仰されました。しかしその鐘はいつの間にかなくなってしまったようで、その理由については相原さん、坂下さん含め誰にもわからないとのことです。推測されるのは、明治時代の神仏分離によって神社として独立する際に処分されたのではないかとのことです。

 

江戸時代に入っても、里宮の金櫻神社一帯は多くの人々で賑わいをみせていたようです。檀家・檀那と呼ばれた信者が金峰山や金櫻神社に登拝する際に、宿泊所や食料・装具などの世話をした人たちのことを御師といいますが、金櫻神社の境内には、願主・奉納者の名前や居住地、御師・祈願所の名称などを刻んだ石灯籠が残り、信仰の盛んだった様子がうかがえます。

 

御師家 大黒屋(相原(勝)さん)

 御師家として長年携わってきた相原家(大黒屋)、現在の当主で第40代目となる相原勝仁(あいはらかつひと)さんに建物の中を見せていただきました。 

相原勝仁さん

(▲大黒屋当主 相原勝仁さん)

現在の大黒屋外観

(▲大黒屋 外観)

 玄関入ってまず特徴的だったのが土間の広さと、土間からあがる段差が大きいこと。多くの信者が集団で立ち寄るために土間が広くなっており、また、この段差は土間で足を洗ってからあがるため、ここに腰を掛けて洗うのにちょうどよい高さになっているのではないかとのことです。確かに段差はひざくらいまでの高さで、座るとちょうどいい感じでした。2階には50畳の大広間が一部屋あり、一度に70人から80人くらいが泊まれる広さです。また、宿泊した記念として、建物の屋根には多くの千社札が貼られていることからも、当時の様子を回想することができます。  

大黒屋土間

(▲大黒屋土間)

大黒屋屋根の千社札

(▲屋根に貼られている千社札)

大黒屋2階

(▲2階50畳の大広間)

 1階入り口には大きな鏡が残っています。これは、東京の丸睦・一心講から寄進されたもので、昭和30年頃まで東京などから講集団が宿泊していたのではないかと相原さんはおっしゃっていました。

 

大黒屋鏡

(▲寄進された大きな鏡)

 

金峰山とともに修験道の霊地であった富士山との関係はどうだったのか。慶応4年(1686)に金櫻神社が作成した由緒書によると、富士道者が激増する60年に1度の御縁年(ごえんねん)は、神社の参拝客数を増やす絶好の機会ととらえ祭礼を実施したり、女性の関所通行手続きの円滑化や、金峰山内での役銭免除といった特典をもうけ、集客に努めていたようです。

 

現在の御岳道

 

さて、現在、金峰山への登山道は、甲府市の東側、山梨市の大弛峠(おおだるみとうげ)からのルート(約3時間)と、甲府市の西側、北杜市の瑞牆山荘からのコース(約4時間30分)が一般的で、初心者でも楽しめるルートとなっています。

 

多くの修験者達が登った金櫻神社からのルートは、甲府市黒平町の北、林道池の平線沿いにある森林浴広場から水晶峠を通るルートとなりますが、私も入峰修行をすべく、この御嶽道を歩いてみました。と書きたかったのですが、記事公開までに調整がつかず、以前、金峰山から黒平へ下山した時の記録を逆にたどって紹介します。

 

●森林浴広場~造林記念碑(約3時間)

ここまでの道で危険な箇所はないが、だらだらと長い道のりが続く。造林記念碑は、山梨県がこの地を水源保安林として造林したことに対して、金櫻神社が感謝の言葉として昭和37年に碑としたもの。神社の再建にも尽力した当時の山梨県知事、天野久氏の名前も刻まれている。

金峰山登山道1

(▲登山道 ゆるやかな登りの道)

造林記念碑

(▲造林記念碑)

 ●造林記念碑~水晶峠~御室小屋(約1時間45分)

造林記念碑からも緩やかな登りが続く。途中の水晶峠はかつて水晶採掘がさかんに行われていたころから名付けられた場所。現在水晶の採掘は法律で禁止されている。御室小屋は現在撤去されているが、信仰が盛んだった中世から近世にかけて、このあたりには御室神社をはじめとした多くの神社や修行の場があり、このような小屋で寝泊まりをしていたと考えられる。

金峰山登山道2

(▲登山道。目印はついている。)

御室小屋

(▲御室小屋。現在は撤去されている。)

 ●御室小屋~金峰山山頂(約2時間30分)

かなり難関な道となる。傾斜もきつく、足元が砂地でロープを使う場所や、岩場を鎖でつたっていく場所もある。登山道全体は地元の森林組合に管理を委託しており、ロープや鎖の安全も確認しているが、初心者がこの道を登るのは危険である。途中、片手回し岩という修験道の象徴的な岩があり、修験者はこの岩で修行を行っていたと言われている。

金峰山登山道鎖場

(▲鎖をつたって岩を登る)

金峰山登山道ロープ場

(▲ロープをつたって砂地を登る)

 

片手回し岩

(▲片手回し岩)

五丈岩と片手回し岩

(▲五丈岩と片手回し岩)

 ●金峰山山頂

五丈岩には鳥居が設けられており、大弛峠や瑞牆山方面からの登ると鳥居のある北側が正面に思われるが、正面は南側である。五丈岩の周辺からは古銭や土馬等が出土しており、土馬は日照りなどの災害を乗せて走り去るなどの祈りが込められたようで、この山が水霊信仰の山であったことを示している。

 

金峰山山頂

(▲金峰山山頂の五丈岩(北側))

 

金峰山山頂からの富士山

(▲金峰山山頂からの富士)

 

甲府市御岳町からの登山道は、当時の修験道としてふさわしい場所であると現在の登山道を踏査してみて感じた。現在でも気軽に登れるルートではないので、金峰山に登る場合は、大弛峠あるいは瑞牆山荘からのルートをおすすめする。なお、今年(令和元年)も8月25日に森林組合職員が管理のために水晶峠付近から山頂まで登ったが、登り5時間30分、下り3時間弱の時間がかかっており、大変きつかったとの感想であった。

太々神楽(だいだいかぐら)

 現在、金櫻神社では、毎年4月の第四土曜日・日曜日に、春の例大祭が行われています。この例大祭では、室町時代以来伝承されている太々神楽が奉納されます。社伝によると、徳川家康公は代参詣を含め3度、金櫻神社を参詣しており、元和元年(1615年)3月11日大祭の参詣の際には、祈祷と太々神楽を行ったのち御祓大麻(おはらいたいま)(※)を献上しました。このことから、江戸の時代においても金峰山は熱心に信仰の対象とされていたことがわかります。神楽は26座あり、収穫を願う神楽とは違い、山岳信仰の神楽として荒々しい所作も認められ、江戸後期に描かれたと推定される三巻からなる絵巻物にもその様子が描かれています。例大祭で氏子により奉納される神楽は13座で、舞に使用されるニ十八の面と四十七の衣装が甲府市の無形民族文化財に指定され、次世代への伝承を進めています。

※御祓大麻・・・薬物の大麻ではなく、祓いの具である「大麻(おおぬさ)」からきたもので、江戸時代伊勢神宮より頒布された巨大な御札のことをいう。

太々神楽

(▲春の例大祭 太々神楽)

 

最後に

今年(令和元年)7月、神社の裏山に金峰山と富士山の双方を眺望できる遥拝所が整備され、記念碑が建てられました。この碑に刻まれた歌は、今上天皇(きんじょうてんのう)が5月に御即位される前の1月、歌会始の儀で、高校1年生の時に金峰山に登った思い出を詠んだものです。 

 遥拝所

(▲遥拝所の記念碑)

 

「雲間よりさしたる光に導かれ われ登りゆく金峰の峰に」

 

今上天皇の思い出としても心に刻まれている金峰山そしてその里宮である金櫻神社を、こうふ開府500年の歴史とともに、信仰の歴史として後世に伝えていきたいものです。

 遥拝所からの金峰山

(▲遥拝所からの金峰山)

 

【参考文献・資料】

平凡社「山梨県の地名」(1995) 

山梨県教育委員会「山梨県の近代和風建築」(2015)

山梨県教育委員会「山梨県歴史の道調査報告書第十ニ集 御岳道」(1987)

甲府市「こうふ開府500年記念誌甲府歴史ものがたり」(2019)

甲府市指定文化財の指定に係る調査書(2017)

 

 

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