信玄公祭りとは

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戦国の名将「武田信玄公」いま蘇る

「信玄公祭り」、「甲州軍団出陣」とは?

戦国時代の名将・武田信玄の遺徳を偲び、例年開催されているお祭りで、メインイベントは「甲州軍団出陣」です。武田信玄が、現在の北陸地方を支配した戦国大名・上杉謙信と激突した「川中島合戦」に出陣する様子を再現しています。1,000人を超える参加者が戦国武者姿で集結する様は圧巻。一帯では一大戦国絵巻が展開されます。

出陣式03

「武田信玄」とは?

武田信玄は、戦国時代に甲斐の国、現在の山梨県を拠点に活躍した戦国大名です。数々の戦に勝利し領土を拡大した戦国屈指の戦略家といわれています。ただ強かっただけではなく民政家としても優れた才覚を発揮しました。中でも、古くから大雨による水害が多かった場所に堤防を作ったことは有名です。堤防は「信玄堤」と呼ばれ、今なお住民の生活を守っています。

 

信玄公像

「武田二十四将」とは?

武田信玄の薫陶を受けた有能な武将たちです。武田信玄に才能を見出され、側近として学びながら育った人物です。無敵と呼ばれた甲州軍団の中核としてその精鋭の陣頭に立ち、数々の合戦で華々しい活躍を見せました。

「風林火山」とは?

武田信玄の軍旗に記されていた文字で、戦国時代最強と謳われた武田軍の軍団指針。風林火山は「その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しずか)なること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく」の略として知られている。甲州軍団は、風林火山になぞらえた風の軍団、林の軍団、火の軍団、山の軍団の4つの軍団と本陣隊で組織されています。各軍団は6つの部隊で構成されており、風の軍団から山の軍団まで順番に出陣します。

「陣屋」とは? 

「陣屋」とは侍が合戦に備え待機する場所のこと。甲州軍団の各部隊は、それぞれの陣屋で酒を酌み交わし、士気を高めながら戦いに備え必勝を祈願していました。信玄公祭りの陣屋は、各部隊の待機場所になっており、戦国武者姿の侍と一緒に写真撮影ができます。

陣屋

 

 

第50回信玄公祭り公式ポスター

第50回信玄公祭りポスター

冨永愛さんのイラストは、世界的イラストアーティストの田村大氏、
「信玄公祭り」の題字は、玄遠書道会会長 大橋洋之氏(2023年日展審査員選任)
デザインは、(株)アドブレーン社 デザイン部部長 五味竜康氏が手掛け、

信玄公役の冨永愛さんの凛々しさが表現された
第50回の記念回を一層盛り上げるポスターとなりました。

歴代ポスター

ポスターで振り返る信玄公祭りの歴史。歴代ポスターをご紹介します。

第1回信玄公祭りポスター
第1回(1970年)

信玄公祭り公式ロゴマーク

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マーク制作者プロフィール
古賀賢治(こが・けんじ)/'53年長崎県生まれ。'74年渡米。以来N.Y.と日本でアーティスト活動を行う。'93年国連「20世紀最後の10年の記念切手デザイン世界コンペ」で選出される。ジュネーブ・ニューヨーク・ウィーンから氏のデザインした切手が発行される。