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更新日:2021年3月22日

清春芸術村01

清春芸術村と白樺派の夢

山梨県北杜市長坂町にある清春芸術村。ここは今から40年前、旧清春小学校の跡地に吉井長三氏によって建てられた文化複合施設です。吉井氏は日本を代表する画商であり、ルオー、ピカソ、ユトリロ、シャガール、クラーベやカトランなどのフランス近現代絵画を日本国内に広め、また一方で梅原龍三郎、東山魁夷などの日本人画家をヨーロッパに紹介しました。日本と西洋の文化の懸け橋となった吉井氏は、2007年フランス国家功労勲章であるコマンドゥールを受賞します。
その吉井氏が芸術家の国際交流の場としての芸術村をつくろう、長年白樺派の同人たちが夢見た美術館をつくろうと私財を投げうってまで実現させたのが清春芸術村です。

捨てきれなかった絵への夢

吉井氏は広島県尾道市に生まれ、子どもの頃から絵を描くことが好きで、将来は画家になることを夢見ていました。画家を志して現在の東京芸術大学である東京美術学校への進学を目指しますが、事業家であったお父様の反対により、弁護士を目指すため中央大学法学部に入学します。大学進学後も画家になることへの夢を捨てきれず、東京美術学校へモグリで毎日通うようになり、ここで1年間絵を学びます。その後、中央大学法学部を卒業し、一流企業である「三井鉱山」に就職し、人もうらやむエリート・サラリーマンになりますが、2年後、会社を辞めることを決意します。学生時代、ルオーの展覧会を見たときの感動が忘れられず、絵に携わる仕事がしたいという思いから「弥生画廊」に勤めることになります。これが吉井氏の画商人生の始まりであります。

 

白樺派との出会い

「白樺派」とは「白樺」という同人誌に集った作家たちの文学です。白樺派とは志賀直哉、武者小路実篤らが明治末期から大正にかけて刊行した同人誌「白樺」を中心とする文芸・文化思潮です。「白樺」にはバーナード・リーチ、里見弴や岸田劉生も参加しており、小説や詩の他、日本画や西洋画も紹介しており、当時多くの若き芸術家たちを熱狂させたといいます。セザンヌ、ゴッホ、ルノアール、ルオーといった作品を日本に紹介したのも、彼ら白樺派でありました。白樺派の同人たちは当時の西洋芸術に強い憧れを持っており、特にオーギュスト・ロダンは特別な存在でありました。同人たちは連名で、彼らの熱い思いを記した手紙と共に浮世絵30枚をロダンに送ります。するとロダンから思いもよらない返事と共に、ロダンの彫刻3点が送られてきました。
これに感動した白樺派の同人たちは、いつかこの彫刻を展示する美術館を創ろうと、強く思うようになっていきました。
その後、白樺派の同人たちは、美術館に展示する作品を収集するため何とか資金を調達して西洋絵画を購入します。その中のひとつにゴッホの「ひまわり」があります。関東大震災後、白樺派の運動は途絶え、また終戦直前には空襲により、その「ひまわり」が芦屋で焼失してしまい、美術館設立の道のりはしばらく遠のいていきました。 

清春の桜が導いた白樺派の夢


のちに「弥生画廊」から独立し、銀座に「吉井画廊」を設立した吉井氏は、数々のヨーロッパの名画を日本に紹介し「日本一の画商」と呼ばれ活躍していきますが、吉井氏の中ではもう一つ叶えたい夢がありました。それは「国内外の芸術家たちの交流の場として、芸術村をつくること」そして「白樺派の美術館をつくること」でありました。現代では「アーティスト・イン・レジデンス」という言葉は一般的でありますが、当時、来日した芸術家が日本で創作活動を出来る場所がありませんでした。美術館を創る前に、作品を作る人間が重要だという思いがあり、芸術家たちが自然の中で思う存分創作活動に専念できる場を作りたい、その想いは白樺派の構想の中にもあったのだそうです。清春の地を訪れた時、南に富士山、西に南アルプス連峰や甲斐駒ヶ岳、北に八ヶ岳を望み、周囲を見事な桜が囲むこの地は、若い芸術家たちが創作しながら交流し啓発しあう場として申し分ないと感じたそうです。
そこで、吉井氏は信頼する方々を連れて、桜の時期にこの地を視察しました。清春の桜を見た小林秀雄氏が「見事な桜だ。迷うことはない。この場所に決めなさい」その一言で吉井氏の心は決まったそうです。
県立美術館もまだ設立されていない当時、この清春を含め北巨摩地域では美術館という言葉すらなかったと言います。芸術村設立には地元の反対も強くあり難航しますが、美智子妃殿下(現 上皇后美智子様)のご両親がお越しになり、この地域を一緒に回ってくれたことで地元の方々にも受入れられていきます。

名建築の宝庫であるアートコロニー

そして1980年、最初に建てられたのが、「ラ・リューシュ」です。あの有名なパリのエッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェル(1832-1923)設計によるもので、1900年のパリ万博のワイン館を再現したものになります。ワイン館はモンパルナスに移築された後、エコール・ド・パリを彩った、シャガール、モディリアーニ、スーチン、ザッキンという著名な画家たちが、ここを拠点にして活躍していったことでも有名です。

 

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▲清春芸術村 ラ・リューシュ

そして、この「ラ・リューシュ」が完成すると、吉井氏の心の中に「白樺派の美術館をつくるなら今しかない」という思いが芽生えていきます。美術の仕事を通して白樺派の武者小路実篤や志賀直哉と親交の深かった吉井氏は、白樺派の同人たちが長年夢見てきた白樺派の美術館をいつか実現したいという思いが強かったと言います。そして構想から65年の時を経て、ニューヨーク近代美術館(MoMA)などを設計した谷口吉生(たにぐち よしお)氏の設計により、ついに1983年に「清春白樺美術館」が設立されます。


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▲清春白樺美術館


現在、清春白樺美術館では、常設展として志賀直哉がコレクションした陶器や仏教美術、自画像などが展示されています。
西洋の美術を日本に紹介して国内に広めた白樺派の志賀直哉のコレクションを見た後には、ヨーロッパを代表する印象派の画家、ゴッホのリトグラフが展示されています。そして白樺派の同人たちがいつか美術館にかけたいと購入し、空襲で焼失してしまった「芦屋のひまわり」の複製画も展示されております。

同じ敷地内にある谷口吉生氏の設計による「ルオー礼拝堂」では、ジョルジョ・ルオーが作成したステンドグラス「ブーケ」や、ルオー自身が彩色したキリスト十字架が展示されています。これらは吉井氏の芸術家を育てたいという純粋な思いと、ヨーロッパ近代美術を日本に広めたという感謝の想いからルオー財団より寄贈されたものになります。

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▲ルオー礼拝堂

 

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▲ステンドグラス「ブーケ」           ▲ルオーが彩色したキリスト十字架

 


安藤忠雄氏設計の「光の美術館」。ここは人口照明がなく、自然光のみで作品を鑑賞することが出来るので、季節や時間によってその作品も表情を変えていきます。

 

 

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▲光の美術館


そして藤森照信氏の設計による「茶室 徹」。まるでツリーハウスのようですが、中は茶室になっています。一般公開はされておりませんが、サポーター会員であれば年に2回まで入室することが出来ます。

 

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▲茶室 徹

 

 

そして清春芸術村の隣には、文人画家の小林勇の旧宅を鎌倉より移築し、新素材研究所 杉本博司氏と榊田倫之が内装設計をした「素透撫 stove」というレストランがあります。オーガニック食材を中心とした中国薬膳料理の調理法ベースの創作フレンチ料理のレストランであり、世界的に有名なフランス発の美食格付け雑誌「ゴ・エ・ミヨ(Gault&Millau)2021」でも取り上げられています。

 


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▲素透撫 stove 外観                    ▲素透撫 stove 店内


建築博物館と言っていいほど日仏を代表する建築家の建物があり、美術作品のみではなくそれを包み込む建物にもこだわりをもった、美術と建築と両方を堪能できる清春芸術村。
これから迎える桜の季節に、是非足を運んでみていはいかがでしょうか。

清春芸術村01

関連施設

清春芸術村

408-0036 山梨県北杜市長坂町中丸2072

電話番号:0551-32-4865

開館時間 (清春芸術村・清春白樺美術館):10:00~17:00(入館は16:30まで)
(光の美術館):10:00~17:00
休館日  年末年始・月曜日(祝日の場合は翌平日休み)
入館料  一般 1500円(1400円)
大高生 1000円(900円)
小中学生 入場無料
*()内は20名以上の団体料金

施設の詳細を見る(外部リンク)

清春芸術村09

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関連施設

素透撫(stove)

山梨県北杜市長坂町中丸4551

電話番号:0551-45-7703
営業時間  ランチ12:00~15:00(L.O. 14:30)
ディナー18:00~21:30(L.O. 20:30)
土日祝のみティータイム15:00~17:30
定休日  月曜日・火曜日(要予約)

施設の詳細を見る(外部リンク)

 

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