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更新日:2025年11月5日
漫画『ドラゴンボール』の七つの玉(ドラゴンボール)のアイデアは、『南総里見八犬伝』(曲亭馬琴)の八つの玉から着想を得ています。作者である鳥山明氏が、『南総里見八犬伝』の「玉を集める」という構造をヒントにしたとされています。『ドラゴンボール』が玉の数を8個ではなく7個にしたのは、鳥山明氏が「『八犬伝』と同じでは悔しいから」という理由で、あえて1個減らしたと語られています。
(トップ画像:曲亭馬琴『南総里見八犬伝』全106冊 館山市立博物館蔵)
山梨県立文学館企画展「ベストセラー誕生!『南総里見八犬伝』の世界」
開催期間: 2025年9月13日(土)~11月24日(月・振休)
開館時間: 9時00分~17時00分(入室は16時30分まで)
休館日: 月曜日(9月15日、9月22日、10月13日、11月3日は開館)、9月24日(水)、10月14日(火)、11月4日(火)
観覧料:一般 600円、大学生 400円
詳細は公式サイトをご覧ください。
この企画展は、江戸時代の文豪・曲亭馬琴(きょくてい ばきん)が28年もの歳月をかけて書き上げた、日本の古典文学における最大のベストセラーの一つである『南総里見八犬伝』の魅力を多角的に紹介するものです。
全巻一挙展示: 『南総里見八犬伝』全98巻106冊が初めて一挙に展示されます。当時の読者が熱狂した、犬をモチーフにした表紙や物語の山場を描いた鮮やかな挿絵(口絵・挿画)などが楽しめます。
「べらぼう」で、蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう、通称:蔦重)の耕書堂で働き始めた曲亭馬琴。生意気な態度で記憶に残っている方も多いと思います。今後、彼はどのように『南総里見八犬伝』を作成していったのでしょうか?

曲亭馬琴肖像 〈幕末―明治初期写〉個人蔵
曲亭馬琴と蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう、通称:蔦重)の関係は、江戸時代の戯作・出版界における師弟・雇用・そしてプロデューサーと作家の関係として、馬琴の作家としてのキャリアにおいて非常に重要なものでした。
蔦屋重三郎は、喜多川歌麿や東洲斎写楽など、才能ある絵師や作家を次々と世に送り出した稀代の「出版プロデューサー」であり、版元(出版社)「耕書堂(こうしょどう)」の主人でした。
きっかけ: 馬琴は当初、武士の身分に固執していましたが、生計を立てるために文筆の道を目指し、人気戯作者であった山東京伝に弟子入りを志願します。
蔦重との出会い: 京伝は弟子入りを断るものの、馬琴の才能を見抜き、自身が専属作家であった蔦屋重三郎に馬琴を紹介します。
耕書堂での仕事: 寛政4年(1792年)頃、馬琴は蔦重が営む耕書堂の番頭として住み込みで働き始めます。
馬琴はここで、書物の校正、原稿の書写、出版業務全般を学び、わずか1年で手代に昇進するほど優秀でした。この経験が、後の大長編執筆の土台となります。
作家としてのスタート: 馬琴は蔦重のもとで戯作の手ほどきを受け、寛政8年(1796年)に読本『高尾船字文(たかおせんじもん)』を刊行するなど、本格的な執筆活動に入ります。

曲亭馬琴作 栄松斎長喜画『高尾船字文』中本読本 寛政8年 個人蔵 蔦屋重三郎から刊行
独立と支援: 蔦重は、馬琴の結婚を機に彼の独立を後押ししたとも言われています。馬琴は蔦重の生前、および初代蔦重の死後も二代目蔦重と一部の作品で協業し、読本や黄表紙、合巻などの作品を発表していきました。
蔦屋重三郎は、身分や学識にこだわらず才能を見抜く力に長けており、馬琴の才能を見出し、出版社の番頭として働かせることで、彼に江戸の出版文化や商売を学ばせる場を提供した点で、馬琴の作家人生における最大の恩人・指導者の一人と言えます。
馬琴自身は、後に蔦重について「これといった学識も無く、文化的素養を持っていたわけでもない。ただ、広く世間を知り、間を取り持つのは上手かった」といった評価を残しており、その関係は単なる師弟や主従に留まらない、複雑で濃密なものだったことがうかがえます。
【参考】南総里見八犬伝 ストーリー概要(Gemini作成)

二代目歌川国貞「八犬伝狗の草紙の内 犬塚信乃戌孝」 大判錦絵揃物 個人蔵
戦国時代、安房(現在の千葉県南部)の武将・里見義実が、敵の呪詛をかけた悪女・玉梓(たまずさ)の怨念を負った飼い犬の八房(やつぶさ)に、娘の伏姫(ふせひめ)を与えることになります。
富山に入った伏姫は、八房と交わることなく読経に励みますが、八房の「気」を受けて懐妊したと見なされ、貞操を示すため自ら命を絶ちます。
その際、伏姫が持っていた数珠が空中に飛び散り、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つの文字が刻まれた八つの霊玉が飛び散ります。

三代目歌川豊国・歌川貞秀「大日本六十余州之内安房 里見の姫君伏姫」大判錦絵 天保14年 館山市立博物館蔵
この八つの霊玉を、それぞれ「犬」の字を持つ姓(犬塚、犬川など)と、玉に刻まれた文字を名の一部に持つ八人の若者が、体内に持つ痣とともに生まれ落ちます。彼らが八犬士です。
伏姫の死を見届けた家臣の金碗大輔(かなまり だいすけ)は、出家して丶大(ちゅだい)と名乗り、八方に散った霊玉と八犬士を探す旅に出ます。
八犬士は各地で苦難に遭いながら、武勇や特異な能力を発揮し、お互いが義兄弟の縁で結ばれていることを知り、次第に集結していきます。
集結した八犬士は、里見家に仕え、数々の妖怪退治や悪党征伐、そして里見家を脅かす敵との戦いで大活躍します。
彼らの活躍により、里見家は安房国の支配を確立し、太平の世を迎えます。

月岡芳年「芳流閣両雄動」大判錦絵竪二枚続 明治20年 個人蔵
八犬士は義実の孫娘たちをそれぞれ娶り、子孫に家督を譲った後、富山の山中へ姿をくらまし仙人になったと伝えられ、物語は幕を閉じます。
ぜひこの展示会で「ドラゴンボール」「べらぼう」の世界の原点を探ってみたらいかがでしょうか?

曲亭馬琴作 渓斎英泉画『南総里見八犬伝』第7輯巻之4 個人蔵 第68回の甲斐の場面の挿絵

展示室の様子

「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの霊玉をイメージした装飾
展示担当/山梨県立文学館学芸員 高室 有子 氏
取材・文/やまなし観光推進機構 仲田道弘