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更新日:2018年7月12日

江戸の人々も歩いた富士山頂への道を行く!

富士山が未来に受け継ぐべき世界の宝として世界文化遺産に登録されて、平成30年6月22日で5周年を迎えました!日本が誇る富士山は世界中の人々を魅了し、連日たくさんの人が富士山を訪れています。絵画や文学の題材となってきた美しい姿や雄大な自然はもちろん、ここにしかない独自の文化など、富士山には知れば知るほど惹かれてしまう魅力がいっぱい‼今年の夏休みは家族そろって“富士山を満喫する旅”に出かけてみませんか?夏休みの自由研究のヒントや、富士山の歴史や文化を感じられるおすすめの散策スポットなど、富士山をもっと知って、歩いて、感じて、まるごと楽しむ情報を3回にわたって紹介します。
第2回目は、江戸時代に広まった富士山を信仰する「富士講」について紹介します。
江戸時代、「富士講」の人々は江戸を出発し、甲州街道を大月宿(大月市)で分かれ、上吉田(富士吉田市)に入り、そこから富士山頂を目指しました。「富士講」が歩いた道は「富士道、富士山道」といわれ、いまも当時の面影を色濃く残しています。今年の夏休みは、家族みんなで「富士道」をたどってみませんか!

目次

「富士講」って?

北口本宮冨士浅間神社を参拝する富士講

「富士講」は富士山を信仰する人々による組織で、「講」とはグループという意味です。
江戸時代に関東を中心に流行し、各地にたくさんの講ができました。富士講の人々は富士山を登拝するために旅してきました。
富士山の麓には「御師(おし)」と呼ばれる人々が集っていました。御師とは富士講の人々の食事や案内、お祈りなどの世話をしていた人たちです。上吉田の町には多くの「御師の家」が軒を連ねて「御師町」という富士山信仰の一大拠点ができ、江戸から旅してくる登拝者たちでとてもにぎわいました。

さあ、「富士道」を歩いてみよう!

金鳥居をくぐり、いざ信仰の世界へ

上吉田地区の入口に立つ「金鳥居」、鳥居の向こうには富士山

「御師町」である上吉田の入口には「金鳥居」がそびえています。ここから先は富士山の聖なる信仰世界とされ、金鳥居は俗世と神域との境界を示したものだといわれています。山頂までにはいくつもの鳥居があり、金鳥居はその一番はじめにあるので、「一ノ鳥居」とも呼ばれます。江戸から続く「富士道」、今回の旅は金鳥居からスタートします!

御師料理のお弁当を調達!

今も富士講を受け入れている「筒屋」

金鳥居から富士山に向かって歩いていくその道筋にはかつて、たくさんの御師の家々が立ち並んでいましたが、いまも富士講を受け入れている御師は数軒だけとなりました。そのうちの一つである「筒屋(づづや)」でお弁当を調達しました。「筒屋」では4~5日前の予約で、御師料理をベースにしたおにぎり弁当を用意してくれます。お昼が待ち遠しい!

信仰の拠点「北口本宮冨士浅間神社」へ

富士山北麓の信仰の中心である「北口本宮冨士浅間神社」は富士山の吉田口登山道の起点でもあり、富士山世界文化遺産の構成資産の一つにも選ばれています。登拝者たちはこの北口本宮冨士浅間神社に参拝してから富士山頂を目指します。大きな杉の木に囲まれ、苔むした石塔が並ぶ参道に一歩足を踏み入れた途端、神聖な空気に包まれます。清々しい気持ちで歩みを進め、登拝者たちが禊(みそぎ)をした川を渡り、木造では日本一の大きさという朱塗りの大鳥居を抜けると、社殿が見えてきました。

樹齢300年以上の杉や桧と苔が覆った石塔が並ぶ参道

富士講たちが禊(みそぎ)をした川

手水舎にも富士講の足跡が

手水舎には講の目印である「マネキ」が掲げられている

手水舎に行くと、富士講が杖や竿につける小旗「マネキ」が柱に掲げられていました。講の目印であるマネキはそれぞれ異なるデザインでどれも個性的。様々なマネキがあり、いまでも富士講の人々が訪れていることがわかります。
拝殿の横には圧倒されるほど大きなご神木があります。樹齢1,000年といわれる大木で、富士山を鎮めるための結界としてご神木が四隅に立てられたといわれています。ご神木は4本のうち3本が現存しています。

登山鳥居からいよいよ登山がはじまる

さらに拝殿の右手奥に進むと、石の鳥居が現れます。吉田口登山道の起点となる「登山鳥居」です。ここからいよいよ登山のはじまりです。
登りはじめておよそ1時間、「中ノ茶屋」に着き、森の中をさらに1時間ほど進むと「馬返し」に到着です。ここからは道が険しくなるために馬を引くことができず、また、聖域の境界であるこの地で馬を返したことから「馬返し」と呼ばれました。ここにも石の鳥居が立てられていて、この鳥居の両脇には合掌している猿の石像があります。富士山誕生の伝説として一夜にして湧き出たといわれるものがあり、その年が庚申(かのえさる)の年だったことから、猿が富士山の使いとされているのです。また60年に一度巡ってくる庚申の年に登山をすると、ご利益が増すともいわれています。何とも穏やかな顔をしているおサルさんに見送られながら本格的な山道を進みます。

吉田口登山道の起点となる「登山鳥居」

見ていると思わず笑顔になるサルの石像

あっという間に一合目!

一合目に到着!大日如来が祀られていたという「鈴原社」

ここからは雰囲気も一転し、深い緑に囲まれます。馬返しから10分ほど、あっという間に一合目に着きます。一合目には富士山の神様の本地仏である大日如来が祀られていたという「鈴原社」があります。大日如来は現在、「鈴原社」の神主のお宅に祀られていますが、毎年7月1日の富士山お山開きの日には、馬返しでこの大日如来を拝むそうです。

富士山には仏様も神様もいる!?

「神仏分離令」により「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が行われ、破壊された石仏

ここで疑問を感じた人もいるのではないでしょうか?「鈴原社」は神社なのに仏様を祀っている?実は富士山には神様も仏様もいたんです!古代、富士山は神体山として崇められていましたが、日本に古くから根づいている神道と6世紀に伝来してきた仏教とが融合した「神仏習合」の思想が広まっていくと、富士山は神様と仏様の住まう世界だと考えられるようになりました。しかし、明治政府が神仏分離令を発したことから、富士山に祀られていた仏像や仏教的施設は撤去されていきましたが、いまでもあちらこちらには神仏習合の世界観が表れています。そんな視点で史跡をじっくり見ながら「富士道」をたどるのも面白いですよ。

二合目への道のり

ここから道は少し険しくなり、一合目から登ること約30分、二合目に到着です。二合目は富士山中にある神社で最古といわれる「冨士御室浅間神社」の本宮が祀られていました。本殿は河口湖南岸の勝山地区にある里宮に移築され、現在は拝殿のみが残っています。
江戸時代まで富士山は女人禁制の山とされていて、女性はこの二合目までしか登ることが許されていませんでした。60年に一度の庚申の年だけは四合五勺まで登ることができましたが、明治の世になり、女人禁制が廃止され、だれでも登山ができるようになりました。

神聖な気持ちで富士講が歩いた道を進みます!

二合目には「御室浅間神社」の拝殿

三合目はお昼ご飯の場所にぴったり!

調子よくどんどん登っていくと、見晴らしのいい場所に出ました。木々の間からは河口湖と富士吉田のまちが見渡せます。ここが三合目!
早朝、上吉田を出発すると、この三合目にはちょうど昼食を食べるころにたどり着くため、かつては中食堂(ちゅうじきどう)といわれ、さらに古くは3軒の小屋があったことから三軒茶屋とも呼ばれていたそうです。
さあ、待ちに待ったお昼ごはん!筒屋特製のおにぎり弁当の中には、梅干し・昆布・山椒の葉の3種類のおにぎり、れんこんとごぼうのきんぴら、花豆の煮もの、山椒の実と昆布の佃煮、たくわんが入っていました。おにぎりは塩味が絶妙で疲れた体になんとも美味しい!甘辛い煮物との相性もぴったりです。その昔、富士講の人々も食べたであろうお弁当を、昔と変わらぬ景色を眺め、心地いい山の風に吹かれながら味わう贅沢さ!最高に幸せなひとときでした。

見晴らしの良い場所、三合目!

「筒屋」さんのおもてなしを感じるおにぎり弁当

さらに四合目、五合目、、、頂上へ!

四合五勺には御座石と呼ばれる岩があります

まだまだ体力が残っている人は、五合目まで歩いてみてはいかがでしょうか。さらに違った景色に出逢えるはずです。三合目から四合目までは約20分、四合目から五合目までは約45分の道のりです。体力と相談しながら、どこで折り返すかを決めて歩いてください。富士スバルライン五合目まで行くと、富士山駅までの路線バスが運行していますので、下山はバスを利用することもできます。さらに山頂を目指す場合は山小屋を利用して、1泊2日や2泊3日で登頂もできます!富士講がたどった富士道をぜひ満喫してみてください!

富士山のお山じまい「吉田の火祭り」

明神型神輿の「お明神さん」

国の重要無形民俗文化財に指定されていて、日本三奇祭としても知られる「吉田の火祭り」は、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭りで、富士山のお山じまいの祭りとして、毎年8月26日・27日に行われます。
26日の宵祭は明神神輿と富士山型の御山神輿の2台が神社を出発して御旅所まで行きます。到着後、上吉田の表通りに立てられた、高さ十尺(3m)の松明およそ100基に点火していきます。また、家ごとに積まれた松明にも火が灯され、吉田のまちを南北に伸びる火の帯はなんとも幻想的です。
翌27日の本祭は2台の神輿が富士吉田市内を練り歩き、神社へと戻っていく祭りが行われ、富士山の短い夏は終わりを迎えます。

富士を表す「御影」(お山さん)

約70本の大松明に火が点いた光景は圧巻!

吉田の火祭りを支える「世話人」

世話人たちのサポートにより大松明に次々と点火

吉田の火祭りは14名の「世話人」がいなくては成り立ちません。世話人は上吉田に先祖代々住んでいる家の、厄年を迎える前の既婚男性から選ばれます。祭りの2日間、神輿の先導役をつとめるのはもちろん、その準備に半年も前から取りかかるそうです。大変な苦労があり、責任も重い世話人ですが、「上吉田の男は世話人をつとめて一人前」といわれているそうです。

「富士道」をテーマに自由研究をしてみよう!

富士講はどんなスタイルで登っていたの?御師の家ってどんな家?

富士講はどんな服装や装備で富士山を登っていたのでしょう?また富士講が泊まっていた御師の家はどんな造りで、富士講の人々はそこでどんなことをしたのでしょう?富士吉田市のふじさんミュージアムで富士講の登山の様子を知ることができます。また、富士山世界文化遺産の構成資産でもある旧外川家住宅では、御師の家の暮らしぶりをうかがい知ることができます。

旧外川家住宅

富士山への登山道はいくつあるの?特徴は?

富士山への登山道は吉田口を入れて4ルートあります。各ルートの特徴や歩行時間、難易度などを調べて比べてみましょう。富士山世界遺産センターでそれぞれの登山道について調べてみよう。

富士山登拝体験

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