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更新日:2020年8月21日

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「この自然を都会の人に送れ!」~ほったらかし温泉の取り組み~

~県内観光事業者 経営者インタビュー Vol.10~
株式会社 ほったらかし温泉 代表取締役 常岡 太郎 氏


やまなし観光推進機構では、県内の観光事業等において頑張っておられる企業経営者のインタビューを通じて、キラリと光る取組みをご紹介しております。
今回は、宣伝広告は一切なし、自然のままの手造り感と甲府盆地と富士山を眼前に臨む雄大な景色を求めて口コミだけで年間約45万人を集客する“ほったらかし温泉”。シンプルであり続けることを選択する株式会社ほったらかし温泉の二代目代表常岡太郎氏をご紹介します。
(取材:2020年8月)

 

株式会社 ほったらかし温泉 沿革

昭和54年 思想家の常岡一郎氏(太郎氏の祖父)が自身の講演家の活動拠点と高齢化社会を見据えた施設の開発を目的に現在の山林を取得。 一郎氏は昭和64年に他界し遺産として土地と借金が残り開発されないまま時が過ぎる。
平成9年 家業の京都のリゾートホテルの経営危機に際し、経営を太郎氏が継承。父の通氏は祖父の残した山に入り事業考案し温泉の採掘を行う。
平成11年 7月 最低限の設備を整備してほったらかし温泉開業(現こっちの湯)
平成14年12月

「あっちの湯」開業

平成23年 東日本大震災が起こり、ガソリン供給不足で客足が落ち存亡の危機を迎え、太郎氏が京都の立て直しの経験を活かし、経営を立て直すべく社長を交代、現在に至る
平成24年 敷地内に「きまぐれ屋」オープン。

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 「この自然を都会の人に送れ!」

―先代社長含め京都のご出身ですが、この地で事業を始めるきっかけを教えてください。

昭和54年に私の祖父が、この山林を取得しました(祖父が取得を望み、父が資金を工面)。

取得にあたって父が祖父に意図を問うたところ、当初は「老人ホーム1000軒」と言ったとのことでしたが、土地利用の詳細は父に委ねられ、その際、「この自然を都会の人々に送れ」と言われたのがはじまりです。

そして昭和60年頃から、父はこの山で老人ホームより更に大きな「老人の街」を造る構想を練り、実現に向け活発に活動を行い、老人の街構想の中に、住まう人々の健康増進のためのゴルフ場を計画しましたが、京都の家業であったリゾート型宿泊施設はその間も猛烈な赤字を出し続けた上、平成5年にゴルフ場計画も頓挫してしまいました。

 

 「地域の人とのご縁で誕生した温泉」

―そこからほったらかし温泉が誕生するわけですが、そこには地域の人とのご縁があったからこそとのことですが。

もともとこのエリアは、当時山梨市にてフルーツ公園計画や温泉を作る計画がありましたが、資金力ゼロ私たちには出番がありませんでした。
その時に地元のボーリング業者の社長から“代金はお湯が出てからでいいので、温泉を掘ってみないか”という話をいただいて平成7年11月温泉掘削に成功しました。
しかしながら資金難のため温泉には蓋をしたままこの後数年間は放置状態となりました。

 

―その頃に家業の京都のホテルの経営は太郎氏が担うようになったのですか?。

平成9年10月、父に再建計画を提示し、専務に就任し京都のホテル経営を全面的に引き継ぎました。
父にはホテル関係の資金繰りをやめてもらい、山梨事業の完成に専念してもらうこととしました。
私が京都、父が山梨で完全分業体制をスタートさせました。
そして平成13年9月にはホテルを単年度営業黒字化させましたが、平成14年3月、過去債務のため競売にかかり落札され営業停止。廃業となりました。

 

―その期間に先代がほったらかし温泉を開業させたのですね。

父が山梨事業の専念を始めて間もなく、地元の工務店さんから“お金は後払いでいいのでお風呂を完成させてはどうだ”というお話をいただき、“こっちの湯”の着工にかかりました。
露天風呂も手作りなのですが、実はこの石は、祖父が岐阜の経営難の石材屋さんを助けようと買い取って、この山林に放置しておいたもので、山を切り開いた時に偶然見つかったのです。そうして平成11年7月、ほったらかし温泉が正式開業しました。
こっちの湯の隣で「温玉あげ」を提供している“桃太郎”さんや入り口のお土産屋さんもこのころに「この人がいなければ開業できなかった」というほどのお力添えをいただいたご縁を通じて出店されることになりました。

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【こっちの湯】

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【温玉あげを提供する“桃太郎”】


 

 「ほったからすことしかできなかったから”ほったらかし温泉”」

―「ほったらかし温泉」の名前の由来とそのネーミングが現在の足掛かりとなったとのことですが。

あえて差別化したというより、創業当時、本当に資金がなかったのです。
先ほどのお話のとおり人の縁が重なってほぼ手づくりで作った最低限の設備の施設。創業スタッフはわずか3人で行き届いたサービスは提供できないことをお客様に事前に伝える意味を込め、父が絞り出したのが、ほったかし温泉の名前の由来です。
最初の2~3か月は1日に1人~10人くらいしか来なかったのですが、開業して3か月後に大阪のテレビ局にて「変な温泉」を紹介する番組で取り上げられたことをきっかけに、口コミでお客様が増えていきました。

 

―“あっちの湯”の誕生にもエピソードがあるとのことですが。

最初のお風呂を開業後に整備した駐車場スペースが、なんと風呂より景色がよかったのです。
来場者増で露天風呂が手狭になってきたこともあり、その場所をあっちの湯として平成14年12月に開業しました。
実は、こっちの湯ももともと盆地ではなく山側を向いた設計になっていました。
ある人の指摘で雑木を切ってみたら富士山がよく見えたので、急遽設計変更したのです。いい加減なものです。

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【あっちの湯】


 

 「3度目の経営立て直しで山梨へ」

―先代の通氏が担ってきた事業を継承することになったのは?

私自身は平成14年夏に京都のホテルの残務整理を終え、一度ほったらかし温泉に合流するも父と経営方針を巡って折り合いがつかず、温泉事業から離脱し2年近く妻のパート代頼りで暮らしておりました。
その後友人から誘いを受け、東京のIT系企業に37歳平社員で雇用され、秋葉原のPC屋店長を皮切りに様々な業務に就きました。
1年の3分の1を中国で過ごし、3年で部長待遇に昇進するなど様々な経験を積ませていただきました。
そうこうしているうちに高齢の両親の健康上の心配があり平成22年に企業を退社して山梨へ戻る決意しましたが、この時点では独自に企業立ち上げの構想を持っておりました。翌年の平成23年、東日本震災で温泉経営が難しくなったのを機に、父と社長を交代し建て直しを開始することになりました。

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【インタビューに答える常岡太郎氏】


 

 「社長になってから唯一増やしたサービス」

―社長になってから手掛けられたものはありますか?

私の義兄が開店させたものの事情により閉店していた朝ご飯の店「気まぐれ屋」を2012年夏にホテル時代の仲間と一緒に復活させ、“玉子かけごはん”の提供を始めました。
それまでは日の出のお風呂に来てくれたお客様はコンビニなどで朝食を摂るしかありませんでしたので、この景色、雰囲気の中でしか味わえない最高の朝ご飯を提供したいと思いました。
た、2018年春には”伝説のカレー(仮)”という昼のカレー営業もスタートしました。

 

玉子かけごはんは、1食600円。卵は県内産の「ワインたまご」米は県内産梨北米コシヒカリを使用し、米がなくなれば終了。いまや大人気のサービスで、玉子かけごはんを楽しみに八王子から毎週足を運ぶ常連客もいるという。
伝説のカレー(仮)はカレーマニアの太郎氏が自らスパイスを調合して作り上げた逸品を出す予定だったが、一緒に仕事をしている元フレンチシェフが作ったカレーの方が圧倒的に美味しかったのでそちらを採用したとのこと。遠く名古屋から通うファンもいるという。

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【太郎氏になって手掛けた「気まぐれ屋」】

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【「気まぐれ屋」の玉子がけごはん】

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【伝説のカレー(仮)メニュー】


 

 「2度の経営危機を経験し体で学んだ経営学」

―これまで2度の経営危機を経験したとのことですが。

 

私にとっての大きな経験がありました。
まず転機になったのは兵庫県で製瓦所を経営していた義父が病に倒れ、義父の入院中に発生した阪神淡路大震災でした。
突如ピンチに陥った店をなんとかしようと京都のホテルフロントの職を休職して淡路島へ渡り、瓦屋の社長代行へ。独学で簿記を勉強する中、妻の父方に国税局OBがいて、経理に関するあらゆる疑問に答えていただけました。
また、経営改善計画については妻の叔父が日本最大の監査法人に重役を務めた人であり、親身に相談に乗ってくれました。
こうしてなんとか危機を脱し、2年半後に妻の弟に経営を引き継ぎ京都のホテルへ戻りました。
その頃には財務諸表の見方、決算の組み方、銀行との折衝など一通り頭に入っていて、赤字ホテルの建て直し方法が以前より鮮明に見えてきました。

 

家業のホテルは、平成9年時点で営業赤字1億、累積債務30億、父個人の借金も限界で債権者による競売手続き開始という実質破たん状態でした。
それまでは祖父の思想の影響もあり、来るものを拒まず人の紹介や依頼で雇用を行っていたため、スタッフ25名で回せる現場を70人で回しており、出社から退社まで一度も仕事をしない人が何人もいる状態でした。

 

まずは全役員に役職を引いてもらいましたが、社内に多く居られた創業メンバーは役員と共に退職することを希望され、いきなりスタッフが20名まで減ってしまいました。
その後外部からの人材登用を試みた結果、折からの不景気もあって多くの有能な人材が不遇な状況にあり、私の人生観が変わるほどの素晴らしいスタッフと巡り会うことができました。
新しい体制の元、宿泊中心の事業からタウンホテルへの脱皮を進め、桂由美さんのブライダルフェアを仕掛けたり、飲食部門の強化、フォーマルな宴会需要の取り込みを図るなどした結果、4年で黒字ホテルへと再生することができました。

 

赤字とは言え年商8億ほどのホテルを引き受けるに至った経緯として瓦屋の経験は必須でありました。
あの体験がなければホテルを引き継ぐ決心もできず、未来は大きく変わってしまったと思います。

 

 「ほったらかし温泉の経営哲学」

―太郎氏にとっての経営哲学とは?

1つめは、温泉に関しては"この先もずっとほったらかしていこう”ということです。
温泉には未使用の土地がたくさんあり、小さな商売をしようと思えば色々考えられますが、それらを次々にやってしまうともうほったらかしではなくなってしまうのです。
また、都会の方からは「虫をなんとかしてほしい」などの苦情もあります。
手を入れる部分とほったらかす部分のバランスは年々難しくなっていますが、悪びれず堂々と「ほったらかし」ていくことが大事だと考えております。

 

2つめは、利益があがったときに浮かれて無駄遣いしないこと、黒字を出してきちんと税金を払うということです。
利益が出ると余計な経費を増やして節税する会社がたくさんありますが、これでは税金を節約する以上に手元資金が減って行きます。
ですので税金を一円でも多く払うことが、回り回って企業体力を高めることになるのです。
現金と信用の両方がなくなると会社は潰れるということを身をもって体験してきた結果得た教訓です。

 

3つめは、現場の仕事について。
スタッフへの指示などは最小限です。
パートさんを含む16名のスタッフがめいめい、自由に仕事や施設を改善していくことも、ほったらかし感醸成につながっていると思います。
社長の仕事で最も大事なのはスタッフが生活の心配なく、ストレスの少ない状態で働いてくださるようにすることだと思っています。

 

 「ほったらかし温泉の未来予想図」

―太郎氏が描く未来予想図があれば教えてください。

現在は、コロナウイルスの影響で計画がストップしていますが、三つ目の温泉の建設準備を進めております。
新温泉は従来の温泉よりも見晴らしのよい地点に建設しており、現在の「あっちの湯」以上により素晴らしい景色を望むことができるようになります。

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【建設中の3つ目の温泉】

 

実は温泉奥の裏山に父が桜の苗木1万本を植樹しました。
いずれ苗木が育てば植え替えをして春にはほったらかし温泉の周り一面に桜が咲いているという景色を望むことができるようにしていきたいと思っています。

 

そして200年、300年後にも変わらず、ほったらかし温泉があって、都会でストレスをためながら働いている人たちが、お風呂につかって休める場所でありたい。シンプルで何もないけれど、帰る時には“良かったな”と思ってもらえる場所であり続けたいと思っています。

 

 ―最後に今後の山梨県の観光への思いをお願いします。

最初は東京からの日帰りのお客さまがほとんどでしたが、圏央道が出来てからは埼玉以北などから1泊2日でみえる方も増えました。
新しい温泉ができ、キャパが増えたら、地域も一緒になって活性化していける仕組み作りも考えていきたいです。
そして祖父の言葉である「この自然を都会の人に送れ」を実現のために山梨に来るきっかけの役割を担いながら、お客様にはその足で県内の観光農園、ワイナリー旅館等に向かっていただければと思います。


 

―今日はありがとうございました。

 


「編集後記」
ほったらかし温泉は来られる方の90%が県外からのお客様。
その魅力をさぐるべく来場者に伺ってみると「ほったらかし温泉の名前が気になって」「日の出が見える最高の景色の露天風呂」「自然のままのところ」と先人が唱えた「この自然を都会の人に送れ!」の言葉どおりに山梨の自然を都会の人に伝える重要なコンテンツになっている。

 

そして太郎氏の経営哲学に関しては、スタッフに太郎氏のことについて伺ってみると「社員の生活について親身に考えてくれ、情に厚く社員の自主性を重んじ、信頼して仕事を任せてくれる」「先の休業期間中に社長がパートさんまで給与の保証をしてくれたこと、またスタッフそれぞれが自分に出来る最善の方法で自主的に動いてくれたことで無事全員に営業再開の日を迎える事ができ、スタッフ同士の結束も深まったように思います」と経営者と従業員との間での「人の縁と信用」や「人が価値を生み出す力」がシンプルではあるが「ほったらかし温泉のおもてなし」を生み出す原動力になっている。

 

そして、筆者と太郎氏は同じ関西出身の同学年で共通の同級生が出会うきっかけをつくった「人の縁」で今回のインタビューが実現できたことを編集後記として締めたい。

 

(公益社団法人やまなし観光推進機構 観光産業支援部 今西)

 

ー企業情報

acchi           株式会社 ほったらかし温泉kocchi

           〒405-0036

           山梨県山梨市矢坪1669-18

           TEL 0553-23-1526 / FAX 0553-23-1926

           URL http://www.hottarakashi-onsen.com/

 

  

 

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