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更新日:2026年3月18日
信玄公祭りは、戦国時代最強と謳われた信玄公の1000人を超える騎馬行列(甲州軍団)を中心とした、山梨県最大級のお祭りです。
信玄公祭りをもっと楽しむための、見どころや豆知識をご紹介します。
目次
戦国時代の名将・武田信玄の遺徳を偲び、毎年甲府市で開催されます。メインイベントの「甲州軍団出陣」では、県内各地から集った軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島へと出陣する様子を勇壮に再現します。1,000人を超える参加者が戦国武者姿で練り歩く、県内最大級のお祭りです。

甲州軍団集結

甲州軍団出陣
信玄公祭りの前身は、昭和22年から開催されていた「桜祭り(舞鶴城公園内)」というお祭りです。商店街の春物大売り出しを中心としたお祭りでしたが、昭和30年代の新笹子トンネルの開通による中央自動車道の開通を契機に、「武田信玄」を売り出そうという動きが出てきました。
そういった中、昭和41年に「桜祭り」を「甲府信玄祭り」という、民謡や踊り、剣道大会が中心のお祭りに模様替えをし、のちに信玄公像の建立や武田二十四将騎馬行列主体のお祭りとなっていったのです。昭和45年には現在の「信玄公祭り・甲州軍団出陣」と名称を変え、大勢の軍団が出陣する大規模イベントとなっています。

【第1回信玄公祭りポスター】
昭和45年4月に開催された第一回信玄公祭りからしばらくは、県庁職員などが信玄公役を務めていましたが、1988年のHNK大河ドラマ「武田信玄」を機会に武田信玄の注目が高まり、1995年(平成7年)からは信玄公役へ俳優を起用したり、女性中心の時代行列などが加えられ、現在の華やかさがある盛大なお祭りとなっていきました。

信玄公による勝ち鬨
武田信玄公の軍旗に記されていた文字で、風林火山は‘其疾如風其徐如林侵掠如火不動如山’「(その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しずか)なること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく)」の略として知られています。
もともとは、古代中国の『孫子』という兵法書から用いたとされています。戦国時代最強と謳われた武田軍の軍団指針として、「移動するときは風のように速く、林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように」と一人一人の武士が心に刻み、出陣していたことが伺えます。この「風林火山」は武田軍の象徴とされ、敵は軍旗を見ただけで、恐れおののいたと言われています。

風林火山に武田菱丸も思わずいいね!
武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。浅野長政という武将のお城で、江戸の西方を守るための重要なお城だったといわれています。現時点では、どのような天守閣があったのか明確な証拠は見つかっておりませんが、発掘調査で見つかった金箔を使った瓦から豪華な天守閣があったのではと考えられています。
甲府城跡は、自然の石を積んだ石垣が天守台を中心に当時のまま良好に残っていることで価値が認められ、平成31年2月26日に国の指定史跡に認定されました。ちなみに、甲府城跡として県庁構内で見つかった「楽屋曲輪」からは当時温泉が湧き出ていたようです。実際に使っていたかは分からないそうですが、お城の中から温泉が湧き出すというのは、非常に贅沢なものです。

【甲府城跡(舞鶴城)】

【甲府城跡の鉄門と謝恩碑】
結局のところ、甲府城は武田信玄の時代には、無いお城だったわけですね。武田信玄公の本拠地は、躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)で、現在の武田神社があるところにありました。武田神社はお堀に囲まれていて、すぐ隣には史跡公園があり、当時の館の広さを物語る史跡が残されています。武田神社をお参りついでに、信玄公がいた当時に思いを馳せても良いかもしれませんね。

【躑躅ケ崎館跡にある、武田神社(拝殿)】
拝殿のすぐ隣には、躑躅ケ崎館の生活の中心とされた古井戸「姫の井戸」も残されている。

【堀に囲まれている躑躅ケ崎館】
その大きさは、東京ドームと同程度の広さを誇る。
甲州軍団の着ている鎧の中でも目を引く、赤い鎧。これは「赤備え(あかぞなえ)の鎧」と言われ、武田信玄が重用した千騎ほどの先発隊が発祥とされています。赤備えは、高級品である辰砂により赤色が出されており、特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊が着用していた事が多く、後世に武勇の誉れの象徴とされていたそうです。
飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)が率いていた隊が最初に身に着けていたとされ、その後、弟の山県三郎右兵衛尉昌景に継承され、赤備えは武田軍の最強部隊であり象徴的な存在となりました。武田氏滅亡後には、「井伊の赤鬼」と恐れられた「井伊直政」も武田軍の赤い鎧を踏襲していたり、真田丸として有名な真田信繫(真田幸村)も赤を基調とした鎧をつけていたり、と武田軍の「赤備え」が与えた影響は絶大だったと考えられます。
ちなみに最強と恐れられた隊を率いた「山県三郎右兵衛尉昌景」の末裔が営業する川浦温泉「山県館」は、武田信玄公の時代に開発された源泉に由来し、源泉かけ流しの温泉で県内でも泉質・景観共に“最強”クラスを誇ります!

【甲州軍団出陣の様子】
赤色を基調とした軍団が甲府の街を練り歩く

【山県館(山梨市)】
源泉かけ流しの温泉で、山県昌景の兜が入り口で出迎えてくれる。
信玄公祭りで騎馬隊として並ぶ馬はサラブレッドが主体で、体高(肩までの高さ)は160cm~170cm、体重は450kg程度の馬を使っています。実際に武田騎馬隊が使っていた馬は、「木曽馬」という種類の馬で体高130cm、体重350kg~400kgの馬だとされています。
サラブレッドに比べると小型で、武田騎馬隊って小さい馬に乗っていて、迫力無かったのか?と思われますが、木曽馬は急な山道でも重い荷物を運ぶのに得意だとされています。山間部が多い山梨では、重い鎧兜を着た武士が乗るには木曽馬はピッタリだったのかもしれません。

【武田菱丸と木曽馬@木曽馬牧場(鳴沢村)】
菱丸の身長は170cm程度です。

【木曽馬に乗馬する武田菱丸】
煙とは、藁など焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することで、情報を伝達する手段のことです。
信玄公祭りでも狼煙は、北杜市から順番に韮崎市・甲斐市・甲府市と順番にあげられます。敵の攻撃を告げる狼煙が各地より伝わり、本陣では出陣に向けての準備の合図となります。 北杜市内には、狼煙をつけた烽火台がいくつも点在していることが分かっており、佐久方面の信州峠や諏訪湖方面からの攻撃があったとして、4~5km程度で上がる狼煙により危険を早く察知していたそうです。いくつかの烽火台は復元されており、今も見ることができます。

【若神子(わかみこ)城跡にある復元された狼煙台(北杜市)】

【北杜市内に点在する狼煙台跡】
長野県との境である信州峠の間に狼煙台跡が並んでいることが分かります。
令和8年、第52回信玄公祭りは次の3日間の日程で開催されます。
令和8年4月3日(金曜日)~5日(日曜日)の3日間
※甲州軍団出陣は4月4日(土曜日)

第52回信玄公祭りポスター
武田信玄公役と山本勘助役は次のお二人です!

歌舞伎役者・俳優
市川 右團次(いちかわ うだんじ) さん
《ご本人からのメッセージ》
この度は歴史ある「信玄公祭り」に武田信玄公のお役で出演が叶います事、誠に嬉しい限りです。と申しますのも私の本名姓が武田で御座いまして、本家の定紋も武田菱なので、この上なくご縁を感じております。
山梨県には歌舞伎の公演でも度々伺わせて頂いておりますが、その折には、武田神社にも訪れて一門で武者姿の記念写真を撮った思い出の地、また若き日には富士登山や五湖巡りなど観光でも楽しませて頂きました。
武田菱が旗めく中、豊かな自然に囲まれて沿道の皆様にお目にかかれます事、心より待ち遠しい思いです。

歌舞伎役者・俳優
市川 右近(いちかわ うこん) さん
《ご本人からのメッセージ 》
この度、山本勘助役で出演させて頂きます、市川右近です。山梨県では父右團次と「連獅子」の仔獅子で公演させて頂いたり、友達と山中湖に行ったり、僕なりの思い出が有ります。
15歳になり父のお役の側近役の勘助、緊張しますが懸命に勤めます。
どうか応援して下さい。精一杯頑張ります。
信玄公祭り史上初となる、親子二代での共演。市川右團次さん、右近さんが紡ぐ勇壮で華麗な舞台を、第52回信玄公祭りの会場でともに体感しましょう!
甲州軍団出陣はもちろん、水晶神輿の行列や忍者パフォーマンス・剣術体験が楽しめる「風魔忍者ショー&体験」、戦国ウォークゲーム『信長の野望 出陣』とのコラボイベント、会場を巡って1枚の絵を完成させる「重ね捺しスタンプラリー」など、子どもから大人まで楽しめる催しが盛りだくさん。会場内にはグルメをはじめ多数の出店も並びます。ぜひ一日たっぷりお祭りをお楽しみください!
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