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更新日:2022年9月15日

信玄公祭り、初の秋開催へ!もっと楽しむ豆知識!

信玄公祭りは、戦国時代最強と謳われた信玄公の1000人を超える騎馬行列(甲州軍団)を中心とした、山梨県最大級のお祭りです。
令和2年、3年と新型コロナウイルスの影響により、信玄公祭りの中止が余儀なくされました。3年半ぶりとなる令和4年秋の信玄公祭りは、コロナ後の反転攻勢への狼煙として位置付け、過去最大規模での開催が予定されています!

 0、信玄公祭り新着情報【NEW】

令和4年第49回信玄公祭りの開催日が決定しました。

第49回(令和4年度)信玄公祭り 開催日程

令和4年10月28日(金曜日)~30日(日曜日)の3日間
※甲州軍団出陣は10月29日(土曜日)

同日、信玄公役と勘助役も発表されました。

武田信玄公役

信玄公祭り2022-ジャルジャル

後藤 淳平(ごとうじゅんぺい) 氏/芸人・お笑いコンビ ジャルジャル

《プロフィール》
1984年3月20日生(38歳)
出身地:大阪府
身長:177cm
2003年に福徳秀介氏とお笑いコンビ・ジャルジャルを結成。2007年にNHK新人演芸大賞演芸部門で大賞を受賞。その後数々のコントの大会で受賞し、2013年に「ABCお笑いグランプリ」優勝、2020年にはキングオブコントで優勝しています。
また、近年は俳優としても活躍しています。信玄公生誕500年記念事業において、全県が一体となって信玄公の生誕を祝うために制作された歴史ドラマ「信茂と勝頼」で、主人公の小山田信茂役を演じ、全県一体の盛り上げに貢献されたことから、今回の信玄公役に決定しました。

《本人からのメッセージ》
信玄公生誕 500 年記念の歴史ドラマ「信茂と勝頼」への出演に引き続き、この度は「第 49 回信玄公祭り」において武田信玄公役を務めさせていただくことになりました。まさか自分が信玄公として参加させてもらえることになるだなんて、大変光栄です。山梨県の方々に今年の信玄公として認めてもらえるよう、精一杯やらせていただきます。共に感動を分かち合いましょう!
まだ「信茂と勝頼」をご覧になっていない方は、山梨県公式 YouTube「山梨チャンネル」で公開しておりますので、是非ご覧ください。当日、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。
後藤淳平 【信玄公祭りに信玄公として参加する奴】

山本勘助役 

信玄公祭り2022-三谷

三谷昌登(みたにまさと)氏/俳優・演出家・脚本家

《プロフィール》
1977年11月10日生(44歳)
出身地:京都府
身長:175cm
信玄公生誕500年記念事業において、全県が一体となって信玄公の生誕を祝うために制作された歴史ドラマ「信茂と勝頼」で、企画・脚本を務め、自身も穴山信君を演じて、全県一体の盛り上げに貢献されたことから、今回の勘助役に決定しました。信玄公役の後藤氏とは、プライベートでも親交があり、息の合った掛け合いを期待します。

《本人からのメッセージ》
幼い頃、いじめられっ子だった僕は、ただひたすらヒーローに憧れていました。でも、故郷はM78星雲でもないし、改造人間にされるのも怖かったし、何度試しても、かめはめ波は出せませんでした。そんな僕が夢中で憧れたのが、歴史上の英雄たちでした。中でも、天才的な策略で敵を圧倒し、御大将を支える「軍師」に惹かれました。諸葛孔明、黒田官兵衛、そして、山本勘助。僕には文字通り、大変身に余るお役目でございますが、全力でお屋形様を支え、信玄公祭りを盛り上げたいと思っております。きっと勘助さんが、皆を憎き疫病から守り、山梨から全国に明るい未来をもたらしてくださることでしょう!そのご高名を汚さぬよう、一生懸命務めます。よろしくお願い申し上げます。

1、信玄公祭りとは? 

  甲府市で行われる「信玄公祭り」は、武田信玄公の命日(4月12日)の前の金~日曜に盛大に開催され、県内各地から軍勢が舞鶴城公園に集結し、川中島に向け出陣する様子を再現しています。 2012年第41回信玄公祭りでは、1000人を超える「侍の最大集合記録(LARGEST GATHERING OF SAMURAIS)」としてギネス世界記録として認定され、世界にも認められた県内最大級のお祭りです。

 信玄公祭りの最新情報につきましては、【信玄公祭り 公式ホームページ】でご確認ください。

信玄公祭りとは

甲州軍団集結

信玄公祭りとは

甲州軍団出陣

2、 いつから信玄公祭りは始まったの?? 

 信玄公祭りの前身は、昭和22年から開催されていた「桜祭り(舞鶴城公園内)」というお祭りです。商店街の春物大売り出しを中心としたお祭りでしたが、昭和30年代の新笹子トンネルの開通による中央自動車道の開通を契機に、「武田信玄」を売り出そうという動きが出てきました。 

 そういった中、昭和41年に「桜祭り」を「甲府信玄祭り」という、民謡や踊り、剣道大会が中心のお祭りに模様替えをし、のちに信玄公像の建立や武田二十四将騎馬行列主体のお祭りとなっていったのです。昭和45年には現在の「信玄公祭り・甲州軍団出陣」と名称を変え、大勢の軍団が出陣する大規模イベントとなっています。

いつから

【第1回信玄公祭りポスター】

 

 昭和45年4月に開催された第一回信玄公祭りからしばらくは、県庁職員などが信玄公役を務めていましたが、1988年のHNK大河ドラマ「武田信玄」を機会に武田信玄の注目が高まり、1995年(平成7年)からは信玄公役へ俳優を起用したり、女性中心の時代行列などが加えられ、現在の華やかさがある盛大なお祭りとなっていきました。

いつから

信玄公による勝ち鬨 

3、よく見る「風林火山」って、どういう意味? 

  武田信玄公の軍旗に記されていた文字で、風林火山は‘其疾如風其徐如林侵掠如火不動如山’「(その疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しずか)なること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく)」の略として知られています。

もともとは、古代中国の『孫子』という兵法書から用いたとされています。戦国時代最強と謳われた武田軍の軍団指針として、「移動するときは風のように速く、林のように静かに敵方の近くでも見破られにくく、攻撃するのは火のように勢いに乗じて、敵方の奇策、陽動戦術に惑わされず陣形を崩さないのは山のように」と一人一人の武士が心に刻み、出陣していたことが伺えます。この「風林火山」は武田軍の象徴とされ、敵は軍旗を見ただけで、恐れおののいたと言われています。

武田菱丸と風林火山

風林火山に武田菱丸も思わずいいね!

4、 出陣式・帰陣式の舞台「甲府城(舞鶴城)」は誰の城? 

 武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。浅野長政という武将のお城で、江戸の西方を守るための重要なお城だったといわれています。現時点では、どのような天守閣があったのか明確な証拠は見つかっておりませんが、発掘調査で見つかった金箔を使った瓦から豪華な天守閣があったのではと考えられています。

 甲府城跡は、自然の石を積んだ石垣が天守台を中心に当時のまま良好に残っていることで価値が認められ、平成31年2月26日に国の指定史跡に認定されました。ちなみに、甲府城跡として県庁構内で見つかった「楽屋曲輪」からは当時温泉が湧き出ていたようです。実際に使っていたかは分からないそうですが、お城の中から温泉が湧き出すというのは、非常に贅沢なものです。

甲府城

【春の甲府城跡(舞鶴城)】

甲府城

【甲府城跡の鉄門と謝恩碑】

 

  結局のところ、甲府城は武田信玄の時代には、無いお城だったわけですね。武田信玄公の本拠地は、躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)で、現在の武田神社があるところにありました。武田神社はお堀に囲まれていて、すぐ隣には史跡公園があり、当時の館の広さを物語る史跡が残されています。武田神社をお参りついでに、信玄公がいた当時に思いを馳せても良いかもしれませんね。

甲府城

【躑躅ケ崎館跡にある、武田神社(拝殿)】

拝殿のすぐ隣には、躑躅ケ崎館の生活の中心とされた古井戸「姫の井戸」も残されている。

甲府城

【堀に囲まれている躑躅ケ崎館】

その大きさは、東京ドームと同程度の広さを誇る。

 

甲府城3

関連施設

舞鶴城公園(甲府城跡)

甲府市丸の内1丁目

電話番号:055-227-6179 (舞鶴城公園管理事務所)

施設の詳細を見る

武田神社

Related facility

関連施設

武田神社

甲府市古府中町2611

電話番号:055-252-2609

施設の詳細を見る

 

5、甲州軍団のトレードマーク 「赤備えの鎧」 

 甲州軍団の着ている鎧の中でも目を引く、赤い鎧。これは「赤備え(あかぞなえ)の鎧」と言われ、武田信玄が重用した千騎ほどの先発隊が発祥とされています。赤備えは、高級品である辰砂により赤色が出されており、特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊が着用していた事が多く、後世に武勇の誉れの象徴とされていたそうです。

 飯富兵部少輔虎昌(おぶひょうぶしょうゆうとらまさ)が率いていた隊が最初に身に着けていたとされ、その後、弟の山県三郎右兵衛尉昌景に継承され、赤備えは武田軍の最強部隊であり象徴的な存在となりました。武田氏滅亡後には、「井伊の赤鬼」と恐れられた「井伊直政」も武田軍の赤い鎧を踏襲していたり、真田丸として有名な真田信繫(真田幸村)も赤を基調とした鎧をつけていたり、と武田軍の「赤備え」が与えた影響は絶大だったと考えられます。

 ちなみに最強と恐れられた隊を率いた「山県三郎右兵衛尉昌景」の末裔が営業する川浦温泉「山県館」は、武田信玄公の時代に開発された源泉に由来し、源泉かけ流しの温泉で県内でも泉質・景観共に“最強”クラスを誇ります!

【川浦温泉 山県館 特集記事】も併せてご覧ください。

赤備え

【甲州軍団出陣の様子】

赤色を基調とした軍団が甲府の街を練り歩く

赤備え

【山県館(山梨市)】

源泉かけ流しの温泉で、山県昌景の兜が入り口で出迎えてくれる。

 

Related facility

施設情報

川浦温泉山県館

川浦温泉 山県館

山梨市三富川浦1140

電話番号:0553-39-2111

施設の詳細を見る

 

 

6、信玄公祭りの馬と、戦国時代の馬はちょっと違う!? 

 信玄公祭りで騎馬隊として並ぶ馬はサラブレッドが主体で、体高(肩までの高さ)は160cm~170cm、体重は450kg程度の馬を使っています。実際に武田騎馬隊が使っていた馬は、「木曽馬」という種類の馬で体高130cm、体重350kg~400kgの馬だとされています。

 サラブレッドに比べると小型で、武田騎馬隊って小さい馬に乗っていて、迫力無かったのか?と思われますが、木曽馬は急な山道でも重い荷物を運ぶのに得意だとされています。山間部が多い山梨では、重い鎧兜を着た武士が乗るには木曽馬はピッタリだったのかもしれません。

山梨県富士吉田市で木曾馬にも乗れるサービス【馬力屋 特集記事】も要チェック!

木曽馬

【武田菱丸と木曽馬@木曽馬牧場(鳴沢村)】

菱丸の身長は170cm程度です。

木曽馬

【木曽馬に乗馬する武田菱丸】

 

Related facility

施設情報

乗馬

紅葉台木曽馬牧場 

南都留郡 鳴沢村紅葉台8529-86

電話番号:0555-85-3138

施設の詳細を見る

 

 

7、戦国時代の通信手段 狼煙(のろし) 

 

 狼煙とは、藁など焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することで、情報を伝達する手段のことです。

 信玄公祭りでも狼煙は、北杜市から順番に韮崎市・甲斐市・甲府市と順番にあげられます。敵の攻撃を告げる狼煙が各地より伝わり、本陣では出陣に向けての準備の合図となります。 北杜市内には、狼煙をつけた烽火台がいくつも点在していることが分かっており、佐久方面の信州峠や諏訪湖方面からの攻撃があったとして、4~5km程度で上がる狼煙により危険を早く察知していたそうです。いくつかの烽火台は復元されており、今も見ることができます。

狼煙

【若神子(わかみこ)城跡にある復元された狼煙台(北杜市)】

狼煙

【北杜市内に点在する狼煙台跡】

長野県との境である信州峠の間に狼煙台跡が並んでいることが分かります。

 

Related facility

施設情報

のろし

北杜市 若神子城址(須玉町ふるさと公園)

北杜市須玉町若神子2852

電話番号:0551-42-1351 (北杜市観光課) 

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