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更新日:2023年9月14日

富士吉田市

やまなし大使・内山しのぶが取材~移住して活躍する人々に聞く「夢が見られる山梨♡夢を叶える山梨」

他県からの移住者が増え続ける山梨県。山梨で生まれて山梨で育った人にはわからない“山梨の魅力”はどこにあるのか?
やまなし大使でもある内山しのぶが多方面で活躍する老若男女に取材インタビューしてお届けする連載。第2回は地域活性する注目の富士吉田の立役者お二人目に話を聞いた。

第1回・富士吉田の立役者たち(2)

合同会社OULO  代表・赤松智志さん(34歳)

赤松智志さん

千葉県柏市出身。慶応義塾大学生(SFC)時代に、慶応義塾大学と山梨県(富士吉田市)のプロジェクトの一環として、街づくりゼミ活動に一年間関わる。富士吉田の地域おこし協力隊を経て富士吉田市に根を張る。HOSTEL SARUYAの共同創業や、NPO法人かえる舎の共同設立を経験し、ふじよしだ定住促進センターのスタッフとしても従事。2022年4月に合同会社OULOとして独立し、地域の相談ごとを形にしていく日々を送る。

 

Q 富士吉田に住むことになった理由は?

慶応義塾大学(SFC)の学生時代、都市計画のゼミをとっていまして、大学2年生の時に慶応義塾大学と山梨県と富士吉田市のプロジェクトの一環として、一年間富士吉田のフィールドワークに参加することになったんです。プロジェクトは富士山信仰の登拝拠点として江戸時代から栄えた、宿坊の街上吉田の地域活性のための調査研究。地域住民へのヒアリングに歴史を学び、上吉田の魅力を研究したとっても濃い一年でした。

僕は18歳まで千葉の大きな街で育ちました。富士吉田市は人口が4万7000前後で、街としては小さくも大きくもなく、人との距離がいい意味で近く、顔が見える関係が居心地よく新鮮でした。その一年が僕をローカルな場所での仕事に関わりたいと強く思わせてくれました。

ちょうど10年くらい前に、日本のローカルは面白いんだ!と感じ始めた頃です。これはもっと勉強しなければ!と思い、その後大学を1年休学して、コミュニティデザインという手法で地域活性化に取り組む関西の会社にインターンとして入社。一年間、関西や中国、九州地方など大小様々な地域の商店街や地域の活性化を市民と一緒に考えていく仕事を、先輩にくっついて横で見ながら修行。ここでの一年も人生に大きく影響し、ローカルな場所で仕事がしたいと再確認しました。

そして大学に復帰したと同時に、富士吉田市から地域おこし協力隊に入らないか?とお誘いをいただきました。やっぱり富士吉田に住みたいと思っていたので、大学4年生から移住しました。大学最後の一年もここから通っていました。今年で富士吉田に暮らして11年目、人生の1/3かと思うとここは第2の故郷です。

 
Q 大学4年生で移住され、ここでお仕事をしようと思った一番の理由は?

地域おこし協力隊に声をかけてもらえたことが一番です。その当時まだスキルもない僕を、富士吉田に戻ってこないか?と求めていただいたことが嬉しかったです。2013年から2015年まで3年間、地域おこし協力隊として、行政と協力しながら街おこしのミッションを遂行。今でこそ下吉田は商店街がにぎわってきていますが、当時はいわゆるシャッター街で山梨の空き家の数はNO.1でした。

そこで、空き家(空き物件)の利活用をテーマに掲げて、まず下吉田の商店街の活性化に取り組んできました。面白い空き家を見つけては、大家さんを探して交渉して、移住したい方や、面白いことをやりたがっている人と空き家を繋げ移住者を手助けする仕事をしていました。

そして地域おこし協力隊3年目となる2015年に「SARUYA HOSTEL(外部リンク)」をオープン。当時、みんなの貯金箱財団で移住していた、デザイナーでもある八木さん(第1回目インタビュー)に、ホテルのロゴから内装のデザインまで相談し、八木さんとの共同名でオープンしました。

 
Q  HOSTEL SARUYAをオープンした理由は?

街と観光客を結び付け、ハブになる場所が欲しかったので、宿泊もできてサロン(社交場)にもなるように空き家を改装してゲストハウスを作りスタート。富士山が誕生した年は庚申御縁年と言われていて、富士山の神の使い守り神が猿なのです。ホテルは和っぽい名前にしたかったので猿(SARUYA)と命名。ぎりぎりコロナ前でした。旅のスタイルも昔とはずいぶん変化してきているので、若い世代、女性一人でも安心して泊まれる安価な宿があったら、観光客も国内外からもっと増えるだろうと思っていました。

そして下吉田の歴史あるレトロでディープな繁華街「西裏(外部リンク)」の魅力も知ってもらいたかったので、西裏に歩いてすぐの商店街に宿を作りました。当時24歳でした。SARUYAを作ったのは僕の中ではステップ1。SARUYAが徐々に軌道にのりはじめた頃、宿をやりながら新しいチャレンジの構想をしていた僕は、経営から抜けることにしました。2017年からは八木さんが経営者です。

西裏
いろんなお店をはしごするのが楽しい歴史ある西裏繁華街

 
Q 今はどんなお仕事で街の活性化をされていますか?

2018年からは(一財)ふじよしだ定住促進センターのスタッフとして、FUJIHIMURO(外部リンク)というギャラリーやイベントができる場所をオープンしました。コンセプトは「いつかどこかで泉になる。」今の子供たちや学生たちの意識を+にできて、富士吉田の20年先になるようなことをイメージし、富士吉田では体験できないようなことに触れられることを企画発信しています。

FUJIHIMUROの建物はもともとは製氷工場
FUJIHIMUROの建物はもともとは製氷工場

例えば、ファッションデザイナー・山縣良和さんが主宰するcoconogacco(外部リンク)やテキスタイルデザイナー氷室友里(外部リンク)さんの展示です。若い人たちが、世界で活躍するものをここFUJIHIMUROで見られる、そして記憶に残ることが大事。そこに明確なメッセージがあるわけでないのですが、人が人を呼んで、いい連鎖で人の和がここ富士吉田に広がっていくことが街の将来にとって大事なことだと思っています。

他にもずっと関わらせていただいている関係人口創出事業やイベントのお手伝い、民間のお店のSNS相談に、ふるさと納税のPRなど富士吉田に関わることを多岐にわたりお引き受けしています。欲を言えば富士吉田だけではなく、山梨県全域でいろいろやりたと思っているのですが、それができないくらい今は忙しくとても幸せなことです。

FUJIHIMUROに集まるクリエイターたちと
FUJIHIMUROに集まるクリエイターたちと

 
Q 11年住まれている富士吉田の魅力はなんですか?

やはり富士山は大きいです。空気と水が清々しくピュアな気を感じる街です。古くからの富士信仰の街でもあるので、富士の登山道を一歩入ったら空気が変わるのがわかります。片や、西裏繁華街に行くと、濃い人間関係、社会の面白さを感じられ、富士山の神秘性と人の欲が入り混じった街。いろんな自分の面を引き出してくれる街でもあります。

食に関しても大型チェーン店が少ないからこそ、富士吉田のお店はオリジナル料理のレベルが高いと思っています。お水のおいしさは日本一じゃないですかね?雑味がまったくないから料理にもあう、二日酔いにも一番美味しいですよ(笑) そうそう、サウナ好きな方がみんな、富士吉田のお水はほんとに気持ちがいいと口をそろえて言っています。

 
Q 移住を考えている方に一言

移住して11年。来た当初は、今とは比べ物にならないくらい静かな街でしたが、仲間たちと、ここはおもしろいことあるよね!!とずっとポジティブなことだけ言い続け、ネガティブな言葉をなくしていくことで街は変わりました。行政の刊行物の仕事もポジティブに面白いデザインにこだわり作ってきたら、富士吉田が元気な街のイメージに変わりました。

良い街づくりを進めるには、ビジネス思考だけではうまくいきません。街が好き、この街に関わっている人のために何か頑張りたい!とポジティブに思う気持ちがカタチになっていくと思っています。ここの街を愛してくれる人が増えて、次のチャレンジャーに渡していけるよう、これからも富士吉田の街の活性化に役に立ちたいと思っています。

移住をする人は、その土地で仲間に入りたいと思うか?人とはあまり関わらないで静かにすごしたいか?大きく分ければその2つに選択があると思いますが、富士吉田は前者だと思います。仲間に入っておもしろいことをしたい方にはとても魅力的な街です。後者のタイプの方は、山梨の中でも自然豊かで開放感溢れる北杜市(外部リンク)のようなエリアが好まれるようです。

その土地が自分に合うかどうか?いろんな方に話を聞いて、その土地を何度も見て回るのが大事ですね。ただ一つ言えることは、自分もそうでしたのが、一人でもいいから信頼できて頼れる人がることが、移住者にとって大事だとおもっています。

ポスター
街の中に貼られている、デザインも可愛い富士吉田市のアニバーサリーポスター

富士吉田市のパンフレット
富士吉田市が発行している、デザインも編集もクオリティーが高い魅力あるガイドやカタログ

 

赤松さんの取材後、富士吉田市の観光課の方にも街作りの話を聞いてみた。イベントはもちろんポスターや刊行物などすべて、富士吉田を愛してくれるおもしろい人たちのアイディアを取り入れて、デザインと編集に力を入れて作っているそう。ふるさと納税返礼品業者のための「梱包のキホン」本や、下富士吉田の魅力が伝わる写真集みたいな「西裏」やガイドブックまで、どれも読んで見て面白いものばかり。刊行物を見て魅力を感じて訪れる移住者や観光者も多いそうで、デザイン(おもしろい物作り)が街にもたらす夢はとっても大きいと実感しました。

インタビュアー&文

内山しのぶ

内山しのぶ様

山梨県甲州市勝沼町生まれ。やまなし大使。1989年編集者として(株)世界文化社入社。女性誌『家庭画報』副編集長を務めた後、料理雑誌『家庭画報デリシャス』編集長。『MISS』『MISS ウエディング』『きもの Salon』『GOLD』の編集長を約 12 年間務める。2016年~現在 (株)集英社HAPPY PLUS STORE サイトにてコンテンツマネージャー。アーティスト本の企画編集刊行なども務める。

料理家として、調理師免許、国際中医薬膳師、マクロビオティックコンシェルジュ、オーガニック料理ソムリエなどの資格を持ち、料理雑誌や企業の刊行物にレシピを寄稿。自宅アトリエでヌーヴェル薬膳料理教室をオープン。著書に料理本『しのぶ亭へようこそ。編集長のおうちごはん』がある。

2019年甲府市・昇仙峡の再活性化をめざす「昇仙峡リバイバル会議」でアドバイザーを務め、「お座敷列車で行く山梨県峡東ワインリゾートツアー」など山梨のPRに関わる。

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