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更新日:2025年8月28日
私たちとは全然ちがう社会や文化で生活していた縄文人。でも、遺跡からみえてくる彼らの生き方には、不思議な親近感を覚える。山梨の縄文ムラを巡って、そんな縄文人たちに出会う旅をしよう。
この記事を書いたのは・・・
山梨県埋蔵文化財センター
主任・文化財主事
佐賀桃子
大学で縄文を学び、縄文遺跡の多い山梨へ就職。縁もゆかりもなかった山梨だけど、今は豊かな自然やここで暮らした人々の生活にトキメキが止まらない。山梨の縄文をみんなに広めたい。
甲府南インターの目の前にある山梨県立考古博物館。その入り口には、ナウマンゾウの親子がいる。山梨県では、ナウマンゾウの化石が見つかっているのだ。縄文時代前夜、まだ氷河期真っ只中の旧石器時代に、甲府盆地にはナウマンゾウが生活していた。旧石器人は、こういう大型哺乳類を追って、ひとつのところに留まることはなく、転々とキャンプしながら暮らした人たちだった。遺跡では建物の跡が見つかることは稀だし、1つの地点から見つかる道具の総重量は、後の縄文時代と比べ物にならないくらい少ない。それは、遊動生活の証拠だと考えられる。
山梨県立考古博物館にいるナウマンゾウの親子
その生活は、氷河期の終わりとともに一変する。気候は徐々に温暖化し、森の主体はトウヒなどの針葉樹からブナやクヌギなどの広葉樹が広がるようになり、木の実がたわわに実った。ナウマンゾウなどの大型哺乳類は姿を消し、代わってシカやイノシシなどの中型哺乳類やウサギなどの小型哺乳類が森や野を駆けるようになり、人間たちの狩猟の対象となった。
こうした自然環境の変化に適応するため、人々は生活スタイルを変化させていった。その最たるものは、定住生活のはじまりだ。
かつて山梨県立考古博物館に現れたイノシシ
定住の地であるムラは、住居やゴミ捨て場、食べ物の貯蔵穴、土器や石器の製作場、木の実のアク抜きを行う作業場、死者を埋葬する墓地、さらには祭祀を行う場など、人々がつくりだしたさまざまな施設の組み合わせで構成される。ムラの中では、人々の話し声や子どもたちの笑い声、道具を作る音、焚き火や食物を煮るにおいがしたことだろう。また、ひとつのところに留まることで、ムラを囲う森のどこにおいしい植物が実り、どこに動物がいるのか、季節ごとに変わる自然の恵みについての知識が深まったと考えられる。1年間の季節のサイクルで周辺の資源を取りつくすことなく、上手に自然と共存したのだ。
青々とした実をつける夏のクリ
ムラの隣にはムラがあり、さらにその隣にもムラができることによって、自分たちのムラの領域というものも生まれていった。自分のムラの領域で入手困難な食糧や石器・土器の素材を求め、他の集団と交流・交易を行ったことで、自己の存在や集団としての自覚が促される契機ともなったと考えられる。それを表現したのが、地域性の強い縄文土器だ。そのかたちや文様は、どれも同じではなく、時代や地域によってものすごく多様で、それぞれのルールがあった可能性も論じられている。相手を意識したからこそ、自分たちの作る土器に独自性を表したのかもしれない。
縄文土器は、定住を支える道具でもある。これまで生で食べるか焼くだけだった調理に、土器で煮るという方法が加わったことで、ドングリ類のアク抜きなど、加熱処理による食材の加工が可能になった。こうした調理法の発展も、食糧事情の安定に寄与したと考えられている。また、石皿のようにドングリを粉にする大形の石器も日常的に使われるようになった。これらの道具は持ち運びには向かないが、定住生活ではムラに置き、必要なときだけ使えばよく、キャンプ生活を送っていた旧石器時代とは大きく異なる生活スタイルが見えてくる。
そんな縄文のムラとは、どんな姿だったのだろう。山梨には、縄文のムラを体感できる場所がいくつかある。そのひとつが、北杜市の梅之木遺跡だ。
駐車場に降り立つと、高原地域のさわやかな風が草のにおいを運んでくる。広い草原と幾重にも折り重なる山々が静かにそびえ、美しい景色に心が震える。視界に広がる風景や鼻をかすめる香りが、私たちを縄文の世界へと誘ってくれる。
梅之木遺跡の復元されたムラ
よく見ると、草原には定住を示す重要な証拠である竪穴建物がポコポコ点在している。「竪穴建物」は有名だが、遺跡を発掘して見つかるのは地下の穴のみであり、穴の上にどのような柱や屋根がかかっていたのか、それがわかることはほとんどない。屋根の構造もわかっておらず、民族事例などにより、茅や土、木などで葺かれた屋根が推測されている。一般的な復元竪穴建物は茅葺き屋根であるが、梅之木遺跡では、他にはあまり見られない土葺き屋根で復元されている。
土葺き屋根の竪穴建物
竪穴建物に入ろうと入り口に立つと、中は薄暗くてちょっと怖い。煙で燻された香ばしいにおいで満ちている。夜には自分がどこにいるかもわからないくらいの暗闇に包まれるが、建物の中央にある石で囲われた炉に火をくべると、その周りは暖かい灯りに照らされる。きっと、縄文人たちも炉の周りに集まり、食事や色々な話をしたことだろう。
復元された竪穴建物の中
現在復元されているのは5軒だが、実は、発掘調査では約150軒もの竪穴建物跡が見つかっている。同時にあった軒数は少ないかもしれないが、建て直しなどを含めて長い間住んでいたからか、たくさんの跡が残ったのだ。しかも、その配置が特徴的だ。建物跡がドーナツ状に並ぶ「環状集落」といわれ、縄文時代中期に長期にわたって継続的に営まれた、特徴的なムラのかたちである。
各地の環状集落では、ドーナツ中央の空白部分で多数のお墓が見つかる場合がある。お墓を中央にすえたムラのデザインは、亡くなった祖先たちとのつながりを大切に考えていたからかもしれない。また、ドーナツをよく見てみると、完全な円ではなく、部分的に切れ目が入っている。切れ目の一つ一つのまとまりは、出自が同じ集団のまとまりと考えられており、ひとつのムラにいくつかの出自集団が秩序をもって共存していたことを示しているとの見方がある。
こんなふうに、当時の社会を垣間見ることができるのも縄文ムラの魅力だ。
ちなみに、梅之木遺跡では、ムラからすぐそばの湯沢川へ通じる「縄文の道」や川沿いでの調理跡なども見つかっている。ムラと川を繋ぐ道はあまり見つかっていないため、竪穴建物だけではなく、ぜひ縄文人も通った道を歩いて川まで行ってほしい。
縄文の道
山梨には縄文時代の遺跡が多く、扇状地や丘陵、八ヶ岳南麓など、緩やかで高い土地に点在している。この企画では、山梨の自然豊かな山々に囲まれた縄文のムラの紹介とともに、縄文時代を体感できるスポットを紹介する。古の人々の息づかいを感じる山梨縄文の旅へ出かけよう。
史跡梅之木遺跡公園
住所|山梨県北杜市明野町浅尾6315番地
開園日|年中無休
アクセス|
【車】 中央自動車道須玉ICから約20分、韮崎ICから約30分
【電車】JR中央線穴山駅からタクシーで約20分、韮崎駅からタクシーで約30分