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更新日:2025年12月24日

縄文企画2

縄文のムラはどこ?~甲府盆地と山のふもとに広がる縄文の暮らし~

前回(※注1)は縄文時代のライフスタイルについて、1つ前の時代の旧石器時代と比べながら紹介した。特に注目したのは、転々とキャンプしながら生活をしていた旧石器時代と違い、縄文人はムラをつくって定住し始めるということ。縄文を代表する縄文土器やドングリなどをすりつぶしたと思われる石皿の利用など、縄文らしいモノに囲まれた生活を可能にしたのは、定住してムラを営んだからこそだ。縄文を語るのにムラは欠かせない。
ところで、そんなムラを山梨の縄文人たちはどんなところにつくったのだろう?

※注1 前回のお話はこちら

この記事を書いたのは・・・

縄文企画

山梨県埋蔵文化財センター

主任・文化財主事
佐賀桃子

大学で縄文を学び、縄文遺跡の多い山梨へ就職。縁もゆかりもなかった山梨だけど、今は豊かな自然やここで暮らした人々の生活にトキメキが止まらない。山梨の縄文をみんなに広めたい。

やまなし地形ばなし

山梨の特徴である甲府盆地は、高い山々に囲まれたお椀の底のような場所だ。周囲の山地のほとんどはとても高くて急峻。お椀の底にあたる盆地中央には平たい土地は多いが、頻繁に洪水が起こる。そのため、ムラをつくるには適していない。

山梨の縄文遺跡が多くつくられるのは、山地でも盆地の中でもなく、その境目に展開する山麓のゆるやかな斜面扇状地丘陵台地の上だ。

今回は、それぞれの地形につくられた代表的な3つの遺跡を紹介する。縄文の暮らしを感じるだけでなく、甲府盆地の絶景も楽しめるスポットだ。

地形図

1. ゆるやかな山麓のムラ ―梅之木(うめのき)遺跡―

梅之木遺跡で見つかった縄文のムラの写真を見てほしい。

まるいムラのすがた
まるいムラのすがた(写真提供:北杜市教育委員会)

まるで水面に降り落ちた雨が踊っているかのように、大小の“まる”が幾重にも重なっている。その真ん中には、傘の下で雨に当たらなかったかのようにまるがない。この大きなまるは、竪穴建物(たてあなたてもの)の跡だ。何度も何度も建て替えられていくうちに約150軒の建物跡が重なり合い、まるいムラのかたちができあがった。

今は同時期にあったと考えられる5軒の竪穴建物を復元しており、縄文のムラの雰囲気を味わうことができる。このムラがあるのは、スラッと延びる金ヶ岳(かながだけ)と茅ヶ岳(かやがたけ)の裾野だ。おむすびがコロリンしないくらいのゆるやかな裾野だから、山に囲まれているけど圧迫感がない。のびやかで美しい縄文のムラの景色を味わえる遺跡である。清々しい気分になりたい時には、この遺跡をオススメしたい。

復元された竪穴建物跡と目の前にそびえ立つ赤石山脈
復元された竪穴建物跡と目の前にそびえ立つ赤石山脈

2. 扇状地にひろがるムラ ―釈迦堂(しゃかどう)遺跡―

縄文時代は長い。1万年以上と、あまりにも長いので「草創期、早期、前期、中期、後期、晩期」の6つの時期に区分されている。

扇状地上につくられた代表的な遺跡に釈迦堂遺跡がある。中央自動車道とパーキングエリアの建設工事で見つかったこの遺跡は、中期に限られた梅之木遺跡とちがって、早期から後期の4つの時期にまたがっている。その間およそ3,500年。結構長い。

山を切り拓く扇状地と釈迦堂のムラの跡
山を切り拓く扇状地と釈迦堂のムラの跡(写真提供:釈迦堂遺跡博物館)

長期間続いただけあって、竪穴建物跡は200軒以上もあり、ものすごい量の遺物が見つかった。まるで美術品のように作り込まれた土器や幼児がすっぽり収まってしまうような大きな土器。そして、国内最多規模の出土数を誇る1,116点もの土偶(どぐう)のかけらたち。この縄文の造形に圧倒されることができるのは、釈迦堂遺跡博物館だ。釈迦堂パーキングエリアからも行くことができるので、山梨旅行の際には立ち寄りやすい。

実は、釈迦堂遺跡は甲府盆地を一望できる絶景のスポットでもある。いつ行ってもオススメだが、本当にオススメなのは辺り一面桃色になる4月の桃の花の季節だ。

桃は、水はけの良い土地を好む。扇状地は盆地を囲う山々から流れる川が土砂を運び、おうぎ状に広がった地形だ。砂や石を中心に構成されているので、扇状地は水はけが良い。だから、桃と扇状地は相性が良い。そのため、釈迦堂遺跡の辺りは山梨の中でも桃畑の景色が美しい場所なのだ。春になると桃畑が一面に花を咲かせ、桃色に染まった甲府盆地とともに春の訪れを全身で味わうことができる。

扇状地は遠くから見るとよくわかるが、実際に遺跡に立つと扇状地にいると実感がなくなってしまう。扇状地が見えないから。しかし、桃畑が扇状地にいることを教えてくれるようだ。

釈迦堂遺跡博物館からの眺め
釈迦堂遺跡博物館からの眺め

桃色に染まる甲府盆地
桃色に染まる甲府盆地

3. 台地の上につくられたムラ ―上の平(うえのだいら)遺跡―

甲府盆地の南側にそびえる御坂(みさか)山地。その麓には、甲府市から中央市辺りまで曽根(そね)丘陵が長く広がっている。この丘陵上にはものすごい数の遺跡があり、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡が群をなしている。特に丘陵の麓には山梨で一番大きな前方後円墳である銚子塚(ちょうしづか)古墳など、古い時期の古墳が集中する。山梨県の歴史を語るうえで重要な遺跡がいくつも見つかっている遺跡密集エリアであり、「甲斐風土記の丘(かいふどきのおか)」となっている。

左奥は御坂山地、右は甲府盆地、中央の小高い山が曽根丘陵
左奥は御坂山地、右は甲府盆地、中央の小高い山が曽根丘陵

弥生時代の終わりから古墳時代のあたまにかけてつくられた、四角い溝で区切ってつくられた方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)が125基も見つかった上の平遺跡は、現在「甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園」内にその姿が復元されている。

紅葉が鮮やかな秋の上の平遺跡
紅葉が鮮やかな秋の上の平遺跡。角を丸く整えた低木が方形周溝墓を表現している

 

方形周溝墓の溝を復元したところ
方形周溝墓の溝を復元したところもある。奥に見える御坂山地が美しい

ここは縄文のムラでもあった場所だ。縄文時代前期の終わり頃(約5,000年前)から中期の終わり頃(約4,300年前)までの竪穴建物跡38軒や、縄文人が食べていたであろうクルミやクリなどの殻や実のかけらが見つかった。方形周溝墓の溝の中からもたくさん縄文土器が見つかっているので、弥生人たちも縄文土器を見たかもしれない。

ガードレール左側の道路が発掘された場所
ガードレール左側の道路が発掘された場所(写真左側)。右端には甲府盆地、奥には奥秩父山塊が見える

縄文のムラは方形周溝墓の東から北にかけて、国道358号線から曽根丘陵公園へ入る公園南東部の入口付近に広がっているようだ。

この看板の辺りから方形周溝墓の東側にかけて縄文のムラが広がる
この看板の辺りから方形周溝墓の東側(写真右側)にかけて縄文のムラが広がる

ガードレール左側の道路が発掘された場所
ガードレール左側の道路が発掘された場所(写真左側)。右端には甲府盆地、奥には奥秩父山塊が見える

上の平遺跡で見つかったものは、山梨県立考古博物館や風土記の丘研修センターに展示されている。丘陵の上から見渡せる景色を楽しんだ後には、ぜひ訪れていただきたい。

縄文人が選んだ景色の中へ

縄文のムラを訪ね歩く時、そこがどんな地形なのかを調べておくと、その地域の特徴がみえてくる。甲府盆地を囲む高くて険しい山々も、大河川が集まってよく氾濫する盆地の底も、どちらもムラをつくるには過酷な環境だ。

でも、縄文人たちはその境目にある高台やゆるやかな斜面を見逃さず、いくつものムラを営んだのだった。高台につくられたムラからは甲府盆地のダイナミックな景色を見ることもできる。

遺跡に行くとついつい地中が気になって下ばかり見てしまうけれど、顔を上げて遠くも見てほしい。そこには、縄文人たちも見た山梨の絶景が広がっている。

 

今回紹介した遺跡の基本情報

1. 史跡梅之木遺跡公園

□住所
 山梨県北杜市明野町浅尾6315番地

□アクセス

 【車】 中央自動車道須玉ICから約20分、韮崎ICから約30分

 【電車】JR中央本線・穴山駅からタクシーで約20分、韮崎駅からタクシーで約30分

□サイト

 北杜市埋蔵文化財情報WEB(外部リンク)

2. 釈迦堂遺跡

□住所

 笛吹市一宮町千米寺764(釈迦堂遺跡博物館)

□アクセス

 【車】中央自動車道・釈迦堂PAから徒歩でアクセス可(下りPAより専用階段にて2分、上りPAより約10分)

 【電車】JR中央本線・勝沼ぶどう郷駅を下車。甲州市民バスで「釈迦堂入口」下車、徒歩15分

□サイト

 釈迦堂遺跡博物館(外部リンク)

3. 上の平遺跡

□住所

 甲府市下向山町字上の平(曽根丘陵公園内)

□アクセス

 【車】中央自動車道・甲府南ICから約5分

 【電車】JR中央本線・甲府駅からタクシー約30分

□サイト

 山梨県曾根丘陵公園」園内マップ(外部リンク)

山梨県立考古博物館
□住所:甲府市下曽根町923
公式サイト(外部リンク)

風土記の丘研修センター(考古博物館付属施設)
□住所:甲府市下向山町1271
公式サイト(外部リンク)

関連サイト

山梨県埋蔵文化財センターでは、県内の遺跡情報を幅広く発信しています。縄文時代をテーマにしたイベントも随時開催されているので、ぜひチェックしてみてください。

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