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更新日:2016年2月12日

武田家と真田信繁(幸村)~「日ノ本一の兵」の赤いルーツを探る~新府城と丸馬出編

2016年のNHK大河ドラマは「真田丸」。主人公の真田信繁(幸村)は、祖父の真田幸隆の代から武田信玄に仕え、父・昌幸も武田家の家臣であり、武田家とゆかりのある人物です。この武田家と真田家の関わり合いや両家にゆかりのある山梨県の観光スポットなどを5回にわたって紹介します。
第2回目は、武田氏最後の城「新府城」について紹介します。

新府城跡に今も残る「丸馬(まるうま)出(だし)」

「真田丸」にヒントを与えた武田流築城術


現在の丸馬出。丸くかたどられているのがわかる。その先が三日月堀。

武田信玄が亡くなり、その跡を継いだ勝頼は、武田の本拠地を守りが手薄な甲府から防御に強い地形にある韮崎・新府に移すことを決める。多くの家臣の反対を受けたものの、勝頼は移転を強行。その結果、勝頼とともに新府へ移ったのは側近のみとなった。「この新府築城が武田家滅亡の引き金となってしまった」と平山優氏はいう。
武田家を滅亡へと導いてしまった新府城ではあるが、それは武田の築城術の集大成と評価される城だった。高い築城技術の一つが南側に造られた丸馬出である。丸馬出は外側に三日月形の空堀を掘って真正面からの侵入を防ぎ、左右の通路に散らした敵を攻撃する造りで、防御力が高く反撃に優れていた。

現在も旧甲州街道(七里岩ライン)から新府城南側の坂道を上ると、左手に丸馬出の遺構が見える。さらにそこから見下ろすと、10mほど下には三日月堀も確認できる。
この武田流築城術である丸馬出は、実は真田信繁が築城した大阪城の「真田丸」に取り入れられたといわれている。大阪城は三方を淀川などの川に守られていたが、地続きになっている南方だけは弱点だった。そこで信繁は大坂冬の陣の際、南側に丸馬出を応用した出城「真田丸」を築いた。これにより豊臣勢は徳川方の兵を策によって多く引き込み、散々に打ち破ることに成功したのである。
武田勝頼が織田・徳川連合軍に攻め込まれ、移城からわずか60日余りで自らの手で新府城を焼き払い、天目山に追い詰められた時、信繁は15歳だったといわれている。信繁自身は武田軍として戦うことはなかったが、「武田が築いた新府城や岡城、海津城の丸馬出を見ていたはずであり、真田丸にはそれらを応用したといわれている」(平山氏)。
信繁の時代を待たずに武田の歴史は幕を閉じたが、信繁は祖父や父、兄らが仕え、自らも幼い頃を過ごした武田で、その優れた技術をしっかりと見つめていたのだろう。

武田勝頼は革新的な人だった!?

なぜ勝頼は本拠地の移転を強行したのか?それは勝頼が革新的な考えの持ち主だったからだといわれている。保守力が強い武田家だけに反発も大きかったが、勝頼は甲府が攻め込まれることを考慮し、防御に適した新たな地への移転を決断しのだ。ちなみに新府城の丸馬出からは正面に雄大な富士山を、その背後には八ヶ岳を望むことができる。かつて勝頼もここから富士山や八ヶ岳を眺めたことだろう。


丸馬出からの富士山


新府城跡北側からの八ヶ岳

新府城は完成していなかった!?


本丸跡の桜(新府城跡)

新府城は未完成のまま焼き払われたと言われている。当時の設計図は残っていないが、土地がならされていないところが現状でも確認でき、築城途中だったのではないかと考えられている。また新府築城は真田信繁の父・昌幸が普請したといわれているが、「これは事実ではなく、実際には北上野(群馬県北部)の郡代として人足の差配などを担ったことが誤解されたようだ。実際に誰が普請したのかは分かっていない」(平山氏)。
新府城跡:韮崎市中田町中條 JR中央本線新府駅より徒歩15分

勝頼は田野の地で妻、息子とともに眠っている!?


勝頼(中)、北条夫人(右)、勝頼の息子 信勝(左)の墓(景徳院)

織田・徳川軍に侵略された勝頼は、岩殿城に向かったものの背かれ、ついに甲州市大和町田野の地で追い詰められた。のちに徳川家康が入国の際、勝頼ら一族を弔うために建立させたのが、田野にある景徳院である。境内には勝頼、北条夫人、嫡男の信勝が自害した生害石があり、3人の墓が並んでいる。
景徳院:甲州市大和町田野389 JR中央本線甲斐大和駅からバス4分

武田&真田ゆかりの地の特産品を味わう!

新府城跡がある韮崎市の穂坂地区は、ブドウやモモなどのフルーツの産地。この地で育まれた果実を贅沢に使ったジャム「ビジュー・ド・穂坂」は、名前のとおり宝石みたいな美しさ。穂坂地区で広く栽培されているマスカットベリーAを使ったスパークリングワイン「ヴァン穂坂」も人気だ。
また、勝頼ゆかりの地である甲州市大和町天目地区は、現在のようなそば粉を水で溶いて薄く延ばし細く切った“蕎麦切り”発祥の地として知られ、美味しい蕎麦が味わえる。


韮崎市のジャム・ワインについてのお問い合わせは、地域情報発信センターHPをご覧下さい。


甲州市のそばについての詳しい情報は、甲州市観光協会HPをご覧下さい。

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