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インタビュー 成嶋徹 成嶋徹さんが語る“自分の可能性”を信じること

挑戦することで、世界は広がっていく 東京パラリンピックをめざす競泳選手 成嶋徹さんが語る“自分の可能性”を信じること パラスポーツインタビュー 成嶋徹 競泳選手 東日本旅客鉄道株式会社 八王子支社 甲府駅

大会初出場で優勝し、パラ競泳の道へ

成嶋さん自身について教えてください。どんな子どもでしたか?

小中高といい友人に恵まれて、楽しく過ごしました。障害については、生後3ヶ月の時に祖母が私の足が短いのではないかと気付き、病院で診てもらったところ障害がわかり、3歳の時に手術などのために1年間入院していましたが、その後はわりと活発にしていましたね。でも体育の授業はすべて見学していましたし、運動には興味も縁もありませんでした。

学生時代に興味を持っていたのはどんなことですか?

高校時代は放送部、天文部、美術部の文化部を3つ掛け持ちしていました。興味があることはすべてやっていましたね。なかでも放送部の活動が好きでした。といってもしゃべる方でなく、裏方の音響などです。
そのころから歌も歌うようになり、歌が上手くなりたくて体力をつけようとプールに通い始めたんです。それが水泳を始めたきっかけです。水泳で体力をつけたら腹式呼吸ができるようになり、歌が本当に上手くなったんですよ。

水泳に打ち込むようになったのはいつ?どんなことがきっかけですか?

高校時代から週に一度ぐらいのペースで泳ぐようになりましたが、あくまでも歌のためで、競泳の大会に出ようなんて思ってもいませんでした。でもコンスタントに泳いでいるうちに、自分の力を一度試してみようかなと思うようになったんです。それが2015年5月に開かれた障害者大会の県予選でした。初出場で初優勝し、味をしめてしまったんです(笑)。いけるかもしれないと思い、10月の全国大会に向けて専属のコーチに指導してもらいながら練習を重ねました。

自分の特性に合った泳ぎ方を研究中

競技として泳ぎ始めてわずか5ヶ月で、山梨県代表に選ばれたのですね。

全国大会となると本当にすごい選手ばかりで、世界が違いましたが、全国の頂点に立つことができました。実はその大会で、パラリンピックの監督の方に「見るから泳いでみて」と声を掛けられたんです。パラスイミングは4種目があり、当時はまだバタフライができなくて、その方に「4種目泳げないとパラリンピックには出られない」と言われてしまって。もともと負けず嫌いなので悔しかったですね。そこからですね、パラリンピックに出たいと思うようになりました。あとで周りの人に聞いたら、その人に声を掛けられるなんてすごいことだと言われました。

競泳に打ち込むようになってからは、どんな練習をしているのですか?

平日は出社前や退社後、それから休日に時間をとって泳いでいます。私は右手と右足が左より20cmぐらい短いので、ストロークの差があるんです。自分なりのバランスをつかみ、水の抵抗をより少なくして泳げるように、コーチと研究しています。
もともとこれと決めたものを研究するのが好きなんです。徹という名前は、両親が「徹底的に」という意味で付けたそうですが、その通りになっていますね。自分の障害の特性にあった泳ぎ方は、コーチにアドバイスをもらいながら、自分で見つけ出していくしかないので、徹底的に研究しているところです。

競泳に打ち込むようになって、自身に変化を感じていますか?

まずタイムが大幅に早くなりました。2015年10月の全国大会の時より6秒ぐらい縮めました(2017年2月時点)。持久力も技術も上がっていますね。それとメンタルが強くなったと思います。競泳はコンマ1秒を争う競技だけに、常に挑戦し続ける強さが必要です。上手くいく日もあれば上手くいかない日もあり、日々状態も気持ちも変わりますが、競技として泳ぐようになってからは成長できているなと感じています。

今まで見えなかった世界を見ている

仕事との両立は大変ではありませんか?

JR甲府駅では中堅社員として社員の指導育成を行い、職場のみなさんに応援をしてもらいながら仕事と競泳を両立しています。仕事を終えてからプールに向かう忙しい日々を送っていると、何でこんな生活しているんだろうと思う時もありますが、パラリンピックという大きな目標があるので頑張れます。
また、プールに行くといつもの顔なじみの人がたくさんいて、話をしたり、一緒に泳いだりして楽しいです。子どもたちもよく声を掛けてくれます。プール仲間にマスターズ水泳に誘ってもらって出場したこともあり、そんな交流からもパワーをもらっています。

競泳をしてよかったと思うことは?

自分の世界が広がったことですね。いろんな方と出会い、今まで見えなかったいろんな世界を見ることができています。これまでは自分の障害を受け入れきれていないところがあり、プールで障害の部位が見えてしまうことも気になっていました。でも全国の大会でパラ選手と話していると、みなさん全く気にしていないんです。
足の長さの差に合わせた、底が高い靴を片方だけ履くのもずっと抵抗がありましたが、大会で出会った10代の選手に「何で履かないんですか?」と逆に聞かれて、人によっていろんな感覚があることがわかったと同時に、自分の障害も受け入れることができるようになりました。いろんな世界を見せてもらえることに感謝しています。

大会ではボランティアの力の大きさも実感されているそうですね。

各県で毎年開かれる障害者大会では、とても手厚いサポートをしていただいています。山梨の代表として出る時は、山梨からも24人ほどのボランティアさんが同行し、さまざまな場面でサポートしてくださっていて、その存在の大きさを感じています。どの大会もボランティアさんなくしては成り立たないと思います。

目標は東京パラリンピック!

今後の目標は?

2020年東京パラリンピック出場です。今年から日本身体障がい者水泳連盟の発掘選手等育成教育キャンプの発掘選手の一人として合宿にも参加させてもらっています。まずはパラリンピックに出場するために設定されている標準記録を突破することが目標です。現状では標準記録まで足りていません。でも自分の特性に合った泳ぎ方を研究し、習得することでクリアできる自信があります。

そこまで頑張れる原動力は?

学生の頃からずっと憧れているアーティストがいるんですが、そのアーティストとの出会いも大きな原動力になっています。
それと競泳のマネージャーをしてくれている中高からの友人がいるんですが、その人に言われた「誰かのために頑張るなんて、おこがましいよ」という一言も響いています。それまで私はどこかで山梨のために、友人のために、同じ障害を持つ人のためにと、変に背負い込んで競技しているところがありました。でもマネージャーのこの言葉で自分のために頑張ろうと思えるようになり、気持ちがラクになりました。これからも自分の目標に向かって、自らの可能性を信じて、挑戦し続けていきたいと思います。

成嶋徹プロフィール

1984年、山梨県甲府市生まれ。
地元の小中高校に進み、高校時代から体力づくりのために水泳を始める。高校卒業後は進学のため上京。卒業後、JR東日本に入社。31歳の時に初出場した県予選で優勝したのを機に本格的に競泳を初め、5ヶ月後に開催された障害者の国体である全国障害者スポーツ大会の25m自由形、50m自由形で優勝。その後、仕事と両立しながらパラスイマーとしてパラリンピックを目指して活動中。2015年には地元山梨の隠れた情報を発信するWEBマガジン「MUJINKAI」を起ち上げ、編集長を務めるなど、マルチに活動している。

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